友々素敵

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地方議会は要らない?

2007年02月10日 23時48分02秒 | Weblog
今日は私たち「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」が公開フォーラム『議会を変えよう!』を開催した日ですので、このことについて書こうと思っていました。ところが、と書き始めて、いや待てよ、それではあまりにも失礼すぎるし、せっかくの今日のフォーラムを台無しにしかねないと気がつきました。というのも、今日のフォーラムを勝手に祝して、一人でビールがなかったのでワインを飲みながら、何気なくテレビをつけたら、NHKで『日本のこころ』をテーマに激論をして、見ていたら言いたいことが山のようにできてしまったのです。

 でも、冷静に考えるなら、まず今日のフォーラムについて書くべきだと思いました。私が代表を努めていた時はこれほどの参加者はいなかったほど、今日は盛況でしたし、その中身も満足できるものでした。栗山町議会の橋場議長が、なぜ議会基本条例を制定するに至ったのか、そして条例を活用することの意義を熱っぽく語ってくださいましたし、四日市大学の岩崎先生が、栗山町議会が何を目指しているかをキチンとまとめてくださったこともあって、議会がどうあるべきかが見えてきたと思います。

 私は、今日の地方議会はまだまだ本来の議会制民主主義の姿にはなっていないと思っていますので、確かに日本の地方議会が栗山町議会のような議会になれば、自治体のあり方も大きく変わっていくだろうと期待しています。けれども、私は議会制民主主義が本来の民主主義なのか、実は疑問に思っているのです。情報公開が徹底され、つまりは住民がいつでもどこでも行政の情報を手に入れ、しかもなお、いつでもどこでも自由に発言できる仕組みが保障されるなら、議会は必要ないのではないか。私たちは議会制民主主義を今日における最高の民主主義の形態と考えてきたけれど、住民がいつでもどこでも発言できる仕組みができれば、議会の機能であるチェックを住民がいつでも直接できる、そうした仕組みを立ち上げることができれば、議会は不要となるはずです。私は極論でしょうが、本当は議会が不要となるような社会の仕組みをつくるべきではないのかと思っています。

 岩崎先生が「私は議会がキライなんです」と言われたその真意はわかりませんが、議員という自分たちの役割もわかっていない権力者を作る必要はないように私は思います。ただし今、議会を廃止することには、首長の独裁になりかねないので、それが良いとは思いません。やはり、栗山町議会のような議会がどんどん生まれ、そしてその成果として自らを否定するようになって行くことなのだと思います。それは何年先ののことなのでしょう、でも意外に早くやってくるかもしれません。
コメント
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