子育て支援の現場にいる若い女性からこんなメールをいただきました。
▽<子育て>
母子保健の現場、虐待の現場にいますと、若者の幼さ、子育て環境の悪さ、子育ての危うさを日々感じております。
「産んでしまえば、なんとなく子どもは育って国を保つ人々が溢れる」など、子育てを知らない人の、安直で貧相な発想ではないでしょうか。
少なくとも今の日本では不可能だと感じます。子育てはまさに手塩にかけなければいけない。それが幸せであり、反面大変なもので、親になれば生きることそのものでもあると思います。
担当ケースを見ていて、この子は、大きくなったらあんな問題を起こすかもしれない・・・犯罪者にならないでくれますように・・・引きこもりにならないで・・・壊れてしまわないで・・・と思う子はたくさんいます。勿論アプローチしていますが、支援に限界を感じることも多々あります。
無条件に愛されるという体験が乏しい子が、やがて、今度は思春期問題や精神疾患、虐待などでまた我々の手に戻ってきます。
むなしいです。
彼らの厳しい生育歴や苦悩、壊れた心に触れるたび、痛みと怒りを感じます。
そして、その人への支援は 一筋縄ではいかないですし、また傷が深すぎて修復不可能な時もあります。そんな時、この人達が痛がったものは、学びとしてもらい受け、今の子育てに投影しなければならない、と思うのです。
でも、彼らの幼少期の状況に似ている家庭が、今 普通の家庭にたくさんある気がします。心配です。
子育ての問題は、今の経済向上と便利を求めてきた、社会・文化の副産物なのに、今の施策は年金対策の出産数確保がメインになっています。
国民がそれを選んでいるのですが・・
真剣に取り組んでも解決しない。大事だと思うことは、施策から外れていて、むなしいばかり。次第に怒れてきて、「そんなにじゃんじゃん産めっていわれて、たとえ産んでも、今のままじゃ、ちゃんと育たなくて、みんな結局は福祉の対象になっちゃうよ~!そしたら、年金どころか、そこから更に税金が要る世の中になっちゃうぜ~!」なんて悪態をつきたくなります。・・・・・・・。
◇こういう現場の真剣な声が、政治に反映されていかないことに問題があります。役人の中には20年30年先を見越して計画を立てよう、基本となる考え方を確立しようと、全力でやっている人もいます。それが責任ある立場になるにつれ、つまり、政治家(議員)との接触が多くなるにつれ、場当たり主義というか事なかれ主義というか、当面の課題の処理へと傾いていきます。やはり、政治家が一番のガンなのでしょう。政治家は決して物知りではありませんし、思慮深くもありません。政治家は場当たり的で無責任な人が多い職種だと思います。国の将来や地域の将来を真剣に考えてこそ政治家の本領発揮であるはずなのに、当選目当ての、無責任な現実重視に流されているのに、そうではないと見せているところに問題があります。
昨日の私たちのフォーラムで、栗山町の議長が「議員の資質・技量があからさまになることが議員の質を高める」という発言をしていたけれど、全くそのとおりだと思います。議員が何をやっているのか、市民は本当に知りません。「議会だより」を見たり、議会報告と称するバス旅行に連れて行ってもらって、「ウチのセンセイはよくやっている」と評価しているくらいです。運動会や敬老会に出席していれば「議員活動をしている」と思っています。首長と親しく話していれば「実力がある」という具合です。議会で質問もできなければ、たまにする質問は当局が書いたものであることなど市民は知りません。大勢の市民の見ている前で、それぞれの議員の資質と力量が丸見えとなる場面が設けられれば、もう少しまともな議員が生まれてくるかも知れません。そう信じたいと思います。
▽<子育て>
母子保健の現場、虐待の現場にいますと、若者の幼さ、子育て環境の悪さ、子育ての危うさを日々感じております。
「産んでしまえば、なんとなく子どもは育って国を保つ人々が溢れる」など、子育てを知らない人の、安直で貧相な発想ではないでしょうか。
少なくとも今の日本では不可能だと感じます。子育てはまさに手塩にかけなければいけない。それが幸せであり、反面大変なもので、親になれば生きることそのものでもあると思います。
担当ケースを見ていて、この子は、大きくなったらあんな問題を起こすかもしれない・・・犯罪者にならないでくれますように・・・引きこもりにならないで・・・壊れてしまわないで・・・と思う子はたくさんいます。勿論アプローチしていますが、支援に限界を感じることも多々あります。
無条件に愛されるという体験が乏しい子が、やがて、今度は思春期問題や精神疾患、虐待などでまた我々の手に戻ってきます。
むなしいです。
彼らの厳しい生育歴や苦悩、壊れた心に触れるたび、痛みと怒りを感じます。
そして、その人への支援は 一筋縄ではいかないですし、また傷が深すぎて修復不可能な時もあります。そんな時、この人達が痛がったものは、学びとしてもらい受け、今の子育てに投影しなければならない、と思うのです。
でも、彼らの幼少期の状況に似ている家庭が、今 普通の家庭にたくさんある気がします。心配です。
子育ての問題は、今の経済向上と便利を求めてきた、社会・文化の副産物なのに、今の施策は年金対策の出産数確保がメインになっています。
国民がそれを選んでいるのですが・・
真剣に取り組んでも解決しない。大事だと思うことは、施策から外れていて、むなしいばかり。次第に怒れてきて、「そんなにじゃんじゃん産めっていわれて、たとえ産んでも、今のままじゃ、ちゃんと育たなくて、みんな結局は福祉の対象になっちゃうよ~!そしたら、年金どころか、そこから更に税金が要る世の中になっちゃうぜ~!」なんて悪態をつきたくなります。・・・・・・・。
◇こういう現場の真剣な声が、政治に反映されていかないことに問題があります。役人の中には20年30年先を見越して計画を立てよう、基本となる考え方を確立しようと、全力でやっている人もいます。それが責任ある立場になるにつれ、つまり、政治家(議員)との接触が多くなるにつれ、場当たり主義というか事なかれ主義というか、当面の課題の処理へと傾いていきます。やはり、政治家が一番のガンなのでしょう。政治家は決して物知りではありませんし、思慮深くもありません。政治家は場当たり的で無責任な人が多い職種だと思います。国の将来や地域の将来を真剣に考えてこそ政治家の本領発揮であるはずなのに、当選目当ての、無責任な現実重視に流されているのに、そうではないと見せているところに問題があります。
昨日の私たちのフォーラムで、栗山町の議長が「議員の資質・技量があからさまになることが議員の質を高める」という発言をしていたけれど、全くそのとおりだと思います。議員が何をやっているのか、市民は本当に知りません。「議会だより」を見たり、議会報告と称するバス旅行に連れて行ってもらって、「ウチのセンセイはよくやっている」と評価しているくらいです。運動会や敬老会に出席していれば「議員活動をしている」と思っています。首長と親しく話していれば「実力がある」という具合です。議会で質問もできなければ、たまにする質問は当局が書いたものであることなど市民は知りません。大勢の市民の見ている前で、それぞれの議員の資質と力量が丸見えとなる場面が設けられれば、もう少しまともな議員が生まれてくるかも知れません。そう信じたいと思います。