今日は愛知県健康福祉部高齢福祉課による「介護保険指定事業者講習会」に行って来た。役人というのはどうしてこうナンだろうと改めて思った。この講習会は介護事業者に対し、法改正でこのように変わりますよということを周知させるための講習会である。およそ60ページほどの冊子に基づいて、5人の担当者が次々に壇上に出て話すのだが、「詳しくはインターネットに載せてありますからそれを見てください」と言う。だったら初めから「インターネットで見ていただいて、わからないところについて質問にお応えします」でもいいのではないか、とさえ思った。しかしまあ、そんなことを言ってもインターネットを見ない人もいるだろうし、だからこんな風にいちいち細かく話さなければならないのだろう。1千人くらいはいる会場を見て、そう思った。なるほど、このように細かくお知らせをすることが行政の仕事なのかと。
それにしても、介護サービスだけでなく、行政が決め民間がその受け皿となる事業は結構あると思うけれど、行政には、行政に代わってやってもらっているという意識は無いようだ。私は民間でやること自体に反対ではない。むしろ行政に集中するのではなく民間ができる限り行った方が、行政と市民とを乖離させないためにも良いと思っている。もともと行政は私たちの代わりに仕事をするところなのだから。しかし行政の人は、仕事を分け与えてやっていると考えているのではないかと思う。というのも、今日のような講習会では「指導監督」という言葉がよく出てくる。冗談じゃないよ、行政のやることは「支援相談」だろうと私は思うけれど、講習会の参加者からそういう不満は今のところ湧き上がってはきていないから、私の偏見なのだろう。
講習会が終わって、帰ろうとしたところに友人から電話が入り、それならと一緒に食事をする。この友人は団塊の世代の終わりかけの人で、マイナーな生き方をわが道としてきた。反戦歌を尺八で吹いたり、カタツムリを飼育して「癒し」を売るという変った商売で身を立てようとしている。「夢はいいよ、それで具体的に何をどうするかを語らないことには、人はあなたについて来ないよ」と言うと、「そんな風に言われるとは思わなかった」と言うが、それでもめげた様子は無い。いつまでも夢を追い続けるのも団塊の世代の特徴かも知れないが、私の見るところでは、彼だけの特徴のような気がする。
午後3時30分からは、企業で働いているベトナム人の人たち7人との日本語教室。日本語のわからない人に日本語を教えることは難しい。単語の一つ一つを彼らがわかる日本語で説明するのは限界がある。「事故」、車と車がぶつかることね、エーと、ベトナムの辞書を貸して、ホラ!ここにあるこれ。という具合である。彼らは実に真面目でよく勉強する。そのうちの一人がよく聞く音楽で、『愛してる』という歌があるが知っているかと言うが、私は全く知らない。それで名古屋に出たついでに「レコード店」、今はもうレコードは置いていないのにレコード店と言うのはおかしいが、その店で「『愛してる』というCDはないか」と尋ねる。若い店員はすぐコンピュータで検索してくれた。歌詞を伝えて「間違いないか」と言うと、「歌詞までは検索できないので、歌っている人はわかりませんか、もしお分かりでなければ、お調べになってからでも良いのでは」と言う。その店員の誠実さが気に入って、「それでよいのでください」と買ってきた。結果としては間違いなかったが、よい店員にめぐり合えたことの方が嬉しかった。
そして夜、まだインフルエンザウイルスのために熱のある孫娘が、チラシにあった中学の数学の問題を持ってきて、どうやるのかと聞く。解いては見たものの、チラシの答えと違っていてあわてた。ナンのことはない、孫の問題の出し方が違っていたのだ。権威を疑われなくて良かったと思いながら、次に二人でテレビ「アンビリバボー」を見た。片腕の青年がパラリンピックで金メダルを取る実話だ。何度も何度も泣いてしまったから、また孫娘に笑われてしまいそうだった。
それにしても、介護サービスだけでなく、行政が決め民間がその受け皿となる事業は結構あると思うけれど、行政には、行政に代わってやってもらっているという意識は無いようだ。私は民間でやること自体に反対ではない。むしろ行政に集中するのではなく民間ができる限り行った方が、行政と市民とを乖離させないためにも良いと思っている。もともと行政は私たちの代わりに仕事をするところなのだから。しかし行政の人は、仕事を分け与えてやっていると考えているのではないかと思う。というのも、今日のような講習会では「指導監督」という言葉がよく出てくる。冗談じゃないよ、行政のやることは「支援相談」だろうと私は思うけれど、講習会の参加者からそういう不満は今のところ湧き上がってはきていないから、私の偏見なのだろう。
講習会が終わって、帰ろうとしたところに友人から電話が入り、それならと一緒に食事をする。この友人は団塊の世代の終わりかけの人で、マイナーな生き方をわが道としてきた。反戦歌を尺八で吹いたり、カタツムリを飼育して「癒し」を売るという変った商売で身を立てようとしている。「夢はいいよ、それで具体的に何をどうするかを語らないことには、人はあなたについて来ないよ」と言うと、「そんな風に言われるとは思わなかった」と言うが、それでもめげた様子は無い。いつまでも夢を追い続けるのも団塊の世代の特徴かも知れないが、私の見るところでは、彼だけの特徴のような気がする。
午後3時30分からは、企業で働いているベトナム人の人たち7人との日本語教室。日本語のわからない人に日本語を教えることは難しい。単語の一つ一つを彼らがわかる日本語で説明するのは限界がある。「事故」、車と車がぶつかることね、エーと、ベトナムの辞書を貸して、ホラ!ここにあるこれ。という具合である。彼らは実に真面目でよく勉強する。そのうちの一人がよく聞く音楽で、『愛してる』という歌があるが知っているかと言うが、私は全く知らない。それで名古屋に出たついでに「レコード店」、今はもうレコードは置いていないのにレコード店と言うのはおかしいが、その店で「『愛してる』というCDはないか」と尋ねる。若い店員はすぐコンピュータで検索してくれた。歌詞を伝えて「間違いないか」と言うと、「歌詞までは検索できないので、歌っている人はわかりませんか、もしお分かりでなければ、お調べになってからでも良いのでは」と言う。その店員の誠実さが気に入って、「それでよいのでください」と買ってきた。結果としては間違いなかったが、よい店員にめぐり合えたことの方が嬉しかった。
そして夜、まだインフルエンザウイルスのために熱のある孫娘が、チラシにあった中学の数学の問題を持ってきて、どうやるのかと聞く。解いては見たものの、チラシの答えと違っていてあわてた。ナンのことはない、孫の問題の出し方が違っていたのだ。権威を疑われなくて良かったと思いながら、次に二人でテレビ「アンビリバボー」を見た。片腕の青年がパラリンピックで金メダルを取る実話だ。何度も何度も泣いてしまったから、また孫娘に笑われてしまいそうだった。