友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恋する二人

2007年12月09日 18時52分52秒 | Weblog
 二人の友だちのことが気になっている。一人は今月中旬に肺の精密検査を受ける。検査を受けることくらいでナーバスになることはないと思うけれど、かなり落ち込んでいる。12年間付き合ってきた大事な女友だちに対して、「付き合う資格のない男だ」と自分から言い出してもいる。友人以上で恋人未満などという不思議な関係を続けてきたのに、続けてきたのは生きていく上で必要だったからなのに、もうすぐにでも死ぬような思い込みだ。彼女を悲しませないために、身を引いておこうというわけである。

 出会いがあれば別れもある。それは仕方のないことだ。せめて相手が傷つく度合いを軽くしておきたいと考えるのも道理だ。別れた彼は、できる限り奥さんと一緒に行動することで、彼女のことを忘れようとしている。それでも自分の誕生日にメールが来ないかと密かに待ち続けている。子どもたちが誕生日を祝ってくれること自体はもちろんうれしいのだが、彼女からの一言を待ち望んでいるのだ。友人以上恋人未満などと言っても、男と女には変わりない。年齢も関係ない。やはり恋は苦しいものだ。

 その苦しい恋に落ちそうな友だちがいる。60歳を過ぎて好きになってくれるような女性はいないと私は思っていたが、間違いだった。彼もまた、二人でいることに大きな喜びを感じている。映画を観たり、公園へ出かけたり、食事をしたり、話を聞いていると幸せそのものだ。正直うらやましい。彼は少しでも彼女と長く話がしていたい、一緒に見たり聞いたりして、喜びを共有したいと言う。本当は毎日でも会いたいけれど、会えばさらに会いたくなる。二人が長く付き合うためには、ゆっくりした歩みの方がいいと言う。

 私は二人にやめろと言う気は全くない。二人の幸せなひと時をうらやましく思っているくらいだ。逆に長く続いて欲しいと願っている。妻子のある男と夫子のある女が恋に落ちるのを奨励することはないけれど、止めることはできない。恋が盲目と言われるのもよくわかる。それでもいつか別れがやってくる。人間は生まれたからには死ななくてはならないのだ。そのときまで、周りに知られないように、気配りを忘れるなと言いたい。そして、決して彼女を傷つけるなとも注意しておきたい。

 思えば同じ中学を卒業し、あの時は男も女もなく、仲良しだった。高校時代にはそれぞれに好きな女性ができて、恋と愛について熱く語った。愛することが苦しいことも知ることになった。生きることは、恋や愛とは違うことも、それでいて恋や愛がなければ生きていけないことも、幸せが心のひだにあることも、長い人生の中でようやく見えてきた。

 最後の恋が素敵なものであることを心から祈る。
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