今日は家族でクリスマス会を行った。孫娘はみんなからプレゼントをもらって嬉しそうだった。私が子どもの頃のクリスマスは、大人たちがキャバレーやスナックで酔っ払っていただけだったよう思う。町中にジングルベルが響き、歳末でもあるから浮かれた気分が漂っていた。私たちが家庭を持った頃から、クリスマスを家で祝うようになってきた。我が家でもクリスマスには洋食を用意し、子どもたちが眠ったのを確かめて、枕元にプレゼントを置いた。我が家の子どもたちは、かなり大きくなるまでプレゼントはサンタさんが持ってきてくれたと信じていた。私もカミさんもそう思う子どもたちの気持ちを大切に思っていた。
私は中学1年から、プロテスタント系のキリスト教会に通った。小学校の高学年の頃から、日本人の習慣が嫌だった。祖母が亡くなった時、近所の人たちが来て葬儀を手伝ってくれた。我が家は材木屋で近所は商家が多かったからか、祖母の葬儀は私の目にはまるでお祭りのようににぎやかに思えた。こんなおかしなことが許される日本人が私は嫌だった。いつもは隣近所の悪口を平気で言っている人たちが、葬儀で面白おかしく談笑することが私は許せなかった。
小学校の時に読んだ『アンクル・トムの小屋』は、私をキリスト教へと導いてくれた。奴隷のトムがどんな苦しみにも耐え忍ぶ、その力の元である聖書を知りたいと思った。たまたま中学校への通学の途中にルーテル教会があったので、自然に教会に通うことになった。周りの人々を見ていて、自分のことしか考えないと人々と思っていたので、キリストの言葉は私には新鮮で衝撃的だった。キリストの「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」に象徴される積極性に圧倒された。正しく自分が求めていた人のあり方だった。
中学・高校と6年間、私は教会に通った。中学3年生の時にはクラスの男子のほとんどを教会に連れて行っていた。高校生の時には聖書の中の話を基に、自分でシナリオも書いて芝居もした。それだけ熱心に教会に通い、牧師も「キリスト教の大学へ行って牧師になるように」勧めてくれたが、なれなかった。自分はそんな聖人ではない。自分の中にある否定されなければならない欲望の存在を打ち負かすことはできなかった。60年安保は高校1年生だったから、よくわからなかったけれど、高校3年生の時にはベトナム戦争が始まっていた。なぜ、人は人を殺さなくてはならないのか、なぜキリスト教国のアメリカはベトナムを無差別爆撃できるのか、聖書が求めていることと現実の違いに、牧師は納得のいく答えを出してはくれなかった。
信仰は自分で答えを出すものだ。答えが出せないのだから、私はキリストの言葉だけを、釈迦や孔子やソクラテスなど、先人たちの一人として受け入れることにした。信仰することの苦しみから解放され、自分はやはり罪深き人間なのだと思い知ることが出来た。キリストの言葉によれば、人は誰もが罪の子である。つまり原罪から逃れられない存在だという。だから神を信じ、悔い改める努力を払わなければならない。けれど私は罪の子であるならばそれは仕方のないこと。善と悪との2つの面を人は持つのであれば、善を目指す以外にない。善を目指すということは悪を内在しているということでもある。
人はその苦悩を背負って生きている。自分はまさにそのとおりだ。私の生き方に巻き込まれてしまった人たち、最大の被害者である家族、友だち、私が一方的に愛した人、そういう人たちには気の毒だが、私という人間はそういう人間なのだと理解して欲しい。私はできるだけ人を傷つけないように生きてきたつもりだが、善と悪との関係から言えば、そうしたつもりが逆だったことは大いにありうる。
またまた小椋佳の歌詞を引っ張り出すが、『さらば青春』の冒頭に次の言葉がある。
僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに
僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ
これはキリスト者ではない。自己中心な者の感覚だ。ところが私にはとてもピッタリくる。
クリスマスというと、アンデルセンの『マッチ売りの女の子』を思い出す。余りにも悲しい物語だ。女の子は寒さの中で、マッチの火で温まるけれど、マッチは底をつく。女の子が夢の中で幸せを見た。しかし、次の朝に女の子は死んでいた。不幸な女の子を誰も救わない残酷な物語だ。人は優しくなれないものなのか、それとも生きていることは、ただの夢なのか、そんなことを考えさせる絵本だ。
私は中学1年から、プロテスタント系のキリスト教会に通った。小学校の高学年の頃から、日本人の習慣が嫌だった。祖母が亡くなった時、近所の人たちが来て葬儀を手伝ってくれた。我が家は材木屋で近所は商家が多かったからか、祖母の葬儀は私の目にはまるでお祭りのようににぎやかに思えた。こんなおかしなことが許される日本人が私は嫌だった。いつもは隣近所の悪口を平気で言っている人たちが、葬儀で面白おかしく談笑することが私は許せなかった。
小学校の時に読んだ『アンクル・トムの小屋』は、私をキリスト教へと導いてくれた。奴隷のトムがどんな苦しみにも耐え忍ぶ、その力の元である聖書を知りたいと思った。たまたま中学校への通学の途中にルーテル教会があったので、自然に教会に通うことになった。周りの人々を見ていて、自分のことしか考えないと人々と思っていたので、キリストの言葉は私には新鮮で衝撃的だった。キリストの「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」に象徴される積極性に圧倒された。正しく自分が求めていた人のあり方だった。
中学・高校と6年間、私は教会に通った。中学3年生の時にはクラスの男子のほとんどを教会に連れて行っていた。高校生の時には聖書の中の話を基に、自分でシナリオも書いて芝居もした。それだけ熱心に教会に通い、牧師も「キリスト教の大学へ行って牧師になるように」勧めてくれたが、なれなかった。自分はそんな聖人ではない。自分の中にある否定されなければならない欲望の存在を打ち負かすことはできなかった。60年安保は高校1年生だったから、よくわからなかったけれど、高校3年生の時にはベトナム戦争が始まっていた。なぜ、人は人を殺さなくてはならないのか、なぜキリスト教国のアメリカはベトナムを無差別爆撃できるのか、聖書が求めていることと現実の違いに、牧師は納得のいく答えを出してはくれなかった。
信仰は自分で答えを出すものだ。答えが出せないのだから、私はキリストの言葉だけを、釈迦や孔子やソクラテスなど、先人たちの一人として受け入れることにした。信仰することの苦しみから解放され、自分はやはり罪深き人間なのだと思い知ることが出来た。キリストの言葉によれば、人は誰もが罪の子である。つまり原罪から逃れられない存在だという。だから神を信じ、悔い改める努力を払わなければならない。けれど私は罪の子であるならばそれは仕方のないこと。善と悪との2つの面を人は持つのであれば、善を目指す以外にない。善を目指すということは悪を内在しているということでもある。
人はその苦悩を背負って生きている。自分はまさにそのとおりだ。私の生き方に巻き込まれてしまった人たち、最大の被害者である家族、友だち、私が一方的に愛した人、そういう人たちには気の毒だが、私という人間はそういう人間なのだと理解して欲しい。私はできるだけ人を傷つけないように生きてきたつもりだが、善と悪との関係から言えば、そうしたつもりが逆だったことは大いにありうる。
またまた小椋佳の歌詞を引っ張り出すが、『さらば青春』の冒頭に次の言葉がある。
僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに
僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ
これはキリスト者ではない。自己中心な者の感覚だ。ところが私にはとてもピッタリくる。
クリスマスというと、アンデルセンの『マッチ売りの女の子』を思い出す。余りにも悲しい物語だ。女の子は寒さの中で、マッチの火で温まるけれど、マッチは底をつく。女の子が夢の中で幸せを見た。しかし、次の朝に女の子は死んでいた。不幸な女の子を誰も救わない残酷な物語だ。人は優しくなれないものなのか、それとも生きていることは、ただの夢なのか、そんなことを考えさせる絵本だ。