友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暖かな冬の一日

2007年12月26日 21時30分22秒 | Weblog
 今朝10時の予約で診察を受けるはずだったのに、いくら待ってもなかなか呼び出されない。お呼びがかかったのは、11時半近くになっていた。先日、医師から「血液検査をしておきましょうか」と言われて血を採られたが、その結果について説明を受けるために順番を待っていた。電話で予約しておいたので、そんなに遅くなることはないだろうとは思ったが、何しろ年の瀬である、万が一もあるかもしれないと覚悟はしていたが、1時間半近くも待たされるとは思わなかった。診察室に入ると医師は「採血の結果は百点満点ですね」と言う。それでいて医師は、「次回でいいですから、レントゲンと心電図を撮りましょうか」と言う。

 これは営業じゃーないか。そうは思ったが、口からは「はい、お願いします」と出てしまった。病院にくる人は皆、ひょっとしたら自分は治らないような大病ではないか、そんな思いでやってくる。しかし、医師の方はこの患者でナンボと考えているのだからいやになる。もちろん、医者の中には、私が今お世話になっている医者も含めて、真面目に患者のことだけを考え、どのように治療するかに全神経を注いでいる方が圧倒的だろう。

 私は、医師は全て公務員にした方がよいと思っている。勤務医はいつも大変な思いで医療にかかわっているのに、個人の医院になるとなぜか高額納税者になってしまう。医者は全て国家公務員で、身分は国が保障するならば、医療ミスに怯えることはないし、無医村の地域もなくなるはずだ。医者だからとベンツに乗せることはなくなるから、それだけ真面目に医療に取り組む医師が増えるのではないかと考えている。

 私の娘は看護師で、来年に行われる学会での発表のために、このところ徹夜、徹夜が続いている。そんなにまでしたら自分の身体が悲鳴を上げてしまうのにと思うほど酷使している。「どんなに努力しても、医師には勝てヘン」世界だからか、傍で見ている限りでは可愛そうになってしまうほど努力を重ねている。しかしこれも、娘が自分で選んだ世界だから、親としては「身体を壊すようなことがあったら元も子もないよ」と言うのがせいぜいで、「とにかく間違いのないようにガンバレ」としか言いようがない。

 私の友だちも精密検査を受け、「手術しなくてはならないかもしれない」と言う。正確には12月27日に、再検査をしなくてはならないようだが、彼自身は肉体の衰えが気持ちの衰えになってしまうことを危惧しているようだ。同年の私にはその気持ちがよく理解できる。私が病院を出た時は、正午に近かったから、やはり自由に出かけることは無理だった。そればかりか、午後は年賀状の宛名印刷をしなくてはならず、水泳教室に行くと言っていたカミさんも家に居て私に付き合ってくれたから、暖かな冬の一日がもったいないくらいに通り過ぎていってしまった。
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