友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

政治の構図

2007年12月07日 23時30分13秒 | Weblog
 自分が聞きたい講演会があるのだが、果たして席があるのかわからない。そんな不安がある時、人はどうするか?また、演劇なり音楽会なり、自分が主催して行う、あるいはそのための練習場所を格安に確保したい。そんな望みがある時、人はどうするか?大方の人の答えは議員や行政の幹部または首長にお願いするというものだった。国家にしても小さな自治体にしても構図は同じだなと思った。

 どうして議員にそんな力があるのか?実は力なんか無いが、役人の側がうるさいから聞いてやっているに過ぎない。過ぎないが、確かに議員に頼めばできることはある。あるから、その議員を応援し、当選させ、自分のためにも使いたいと思うようになるのだ。この構図も全国どこも同じで、国会議員も村会議員も全く同じだ。
国会議員に直接個人的なことを頼みにいくケースは稀だろうけれど、地域ぐるみ団体ぐるみ企業ぐるみであれば、よくある話だ。ここから議員の系列化も生まれる。

 「それって、結局は私欲なのじゃーないの?」「国会議員が利権に群がっていると批判するけれど、そういう政治家を支えているのも有権者、つまりは自分たちなんだから、これでは政治は変らないね」「国会議員ばかりを問題にするけど、もちろん族議員といえば大きな利権が絡むから、地方議員なんか問題ではないかもしれないけど、利益のおこぼれに預かろうとするのは、同じじゃーないの?」「政治はみんなの幸せを実現することなのに、自分の利益を優先することになるんだ」

 首長は文化活動に理解があるというので、いろいろな面で首長に応援してもらったならば、首長から逆にお願いされたなら断れないし、選挙では1票を投ずることになっていく。自分たちの考えを代わって実行してくれるということと、自分たちの利益を優先してもらうことは違うのではないか。こうした民主主義の弊害を克服するためには、全てを公開して、誰でも意見を言うことができる仕組みが必要だ。それは、利益が偏らないためだ。

 行政は最大の権力者である。議員は権力者の末端にいるに過ぎない。行政のトップの座に就くということは大きな権力を掌握するということだ。だが権力を行使する側も、いつ何時その座から引きずりおろされるかわからない。本来はそういう仕組みになっているはずなのだが、実際に座に就けばあらゆる手段を講じて守ろうとするし、また甘い蜜を求めて守る側に擦り寄ってくる人たちもいる。それでも引きずりおろされることがあることを保障することが大事だと思う。

 行政が公正・公平であるためには、市民のレベルアップが必要だが、市民がレベルアップするためには、何をどうすることなのだろうか?
コメント
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