友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

チューリップへの思い

2007年12月06日 23時09分33秒 | Weblog
 今日、暖かかったのでチューリップの球根を全部植え込んだ。球根は宅配してもらう。このところ500球を買い求め、100球は昨年のチューリップの球根を使っている。しかし、今年は保存の仕方が悪かったようで、取っておいた球根がフヤフヤになっていた。手に持ってみて比較的硬そうな球根だけを残して後は捨てた。もったいないけれど多分芽が出てこないだろうと判断したのだ。

 チューリップを育ててみようと思ったのは、地域新聞を作っていた時だから15年以上にもなる。社員の女の子が「チューリップを見に来ませんか」と誘ってくれたので、みんなで出かけた。家の畑がチューリップで埋め尽くされ、それは見事だった。我が家はマンションなので彼女の畑のようには咲かせられないが、鉢植えでやってみようと始めたのがきっかけだった。13号鉢を少しずつ、買ってきては増やし、とうとう大小合わせて50鉢近くなってしまった。

 植え込むことよりもその前の、鉢の土の入れ替えが一番大変だが、大きくキレイな花を咲かせるためには努力しなくてはならない。労力もいるが土作りのお金もいる。球根も大きなよいものが欲しいのだが、「この安い方が値打ちじゃない」とカミさんが指示するので、最も安いが球根の大きいものを選ぶようにしている。平成23年までにはマンションの屋上の防水工事が行われる。その時は、この鉢もどこかへ移動させなくてはならない。今から頭が痛い。

 春に、チューリップが咲き揃うと友人たちを呼んで、花見をする。暖かな日ならばイスを出して、花を見ながらコーヒーを飲むのだ。せっかく咲いても人が見てくれないのは寂しい。花が見ごろなのは桜と同様に1週間しかない。それでも、のんびりと花を眺めながらコーヒーを飲み、談笑するのは至福の時間だ。苦労したことも忘れてしまう。

 今年のチューリップ鑑賞会の時は天候が悪く、居間からの鑑賞となった。たまたまお酒のつまみにピッタリのものを持ってきてくださった方があり、我が家にはワインもあったので、チューリップを見ながらコーヒーを飲むはずが、どうしたことかワインでチューリップを楽しむ会に変ってしまった。しかしワインとチューリップもなかなか捨てたものではなく、話はかなり盛り上がった。

 来年の春が楽しみだが、我が家が残しておいた昨年のチューリップの球根が本当に花を咲かせてくれるのか、ちょっと心配している。やはり新しい球根を買ってきて植えつけた方が間違いなく花が咲くだろうが、あのフヤフヤになってしまっていた球根が花をつけるなら、これからも古い球根でも捨てたものではないということになるだろう。

 私は花を咲かせるためにどんな努力も惜しまないが、花が咲いたならたくさんの人に見に来て欲しいと願っている。一人で楽しむよりも大勢で楽しみたいと思うからだ。楽しみや喜びはみんなで、悲しみは自分一人でというのが私の考えだ。さてさて、来春が楽しみだが、もうすぐクリスマスがやってくるし、これが済めばお正月であり、お正月が済むと私が大切に思っている人の誕生日がくる。
コメント
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