友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

迎撃ミサイルなんか要らない

2007年12月19日 19時02分35秒 | Weblog
 昨夜のテレビで、ハワイ沖で行われた海上自衛隊のイージス艦「こんごう」から発射された迎撃ミサイル(SM3)が標的用の弾道ミサイルを打ち落としたニュースが大きく報道された。アメリカ以外の国でこの実験に成功したのは初めてらしく、石破防衛大臣は「今回成功したから100%大丈夫となるものではないが、わが国の迎撃システムの信頼性が大きく前進した」と記者会見で述べていた。

 2010年までに3隻のイージス艦をこのSM3の搭載型に改修するとともに、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)を同じ2010年の前半までに、首都圏や中京・京阪神地区や北九州地区の大都市周辺の合計16の空自高射隊に配備するという。その費用はおよそ1兆円になるそうだ。記者会見で費用が高いことを質問され、石破大臣は「人の命を守ることが大事だ」といった内容の発言をしていた。

 飛んでくるミサイルを打ち落とすのはきわめて高い技術を持つことだそうだが、私にはそんなことにどうしてお金と時間と労力と様々な惜しむべきものを投入するのか、全くわからない。石破大臣は「迎撃システムの信頼性を高めた」のであり、「人の命はお金には替えられない」と言う。人の命をそれほど大切に考えるなら、まず武力など持たない国づくりを、武力のない世界づくりを考え、実行することだろうと思う。

 どんどん武力を高めるために装備を整えていくならば、武力のない世界からはますます遠のくことになるだろう。銃を突きつけて、平和を作ろうと言われて誰が信じるというのだろう。北朝鮮からの脅威に対抗するためには、迎撃ミサイルが有効だと言うが、北朝鮮には約200発の中距離弾道弾ミサイル「ノドン」があるというから、さらに大掛かりな迎撃システムが必要となる。自衛隊の高官が「ミサイル防衛は抑止のため。60%でも迎撃できれば、相手は発射ボタンを押せなくなる」と言っていた。それでは、軍備をどんどん拡大するしか平和は生まれないことになる。

 軍需産業やそれに関連する商社は潤うかもしれないが、北朝鮮を見ていてもわかるように、それは国民の犠牲の上に成り立っているのだ。いくら石破大臣が「人の命」などというキレイごとを並べても、一発触発の上にかろうじて成り立っているバランスを「平和」とは言えない。アメリカの隣国カナダはアメリカと運命共同体と言ってもよいほど歩調をともにしている。それなのにアメリカが世界戦略としているミサイル防衛システムに参加していない。カナダ国内にミサイル基地を受け入れていないのだ。

 高度な兵器は人類そのものを滅亡へと追い込むだけだ。人類はどんどん兵器を高度なものに造り変えてきたが、それはますますたくさんの人の死を生み出したばかりか、死以上の苦しみももたらした。立派な背広を着て、「人の命には替えられないでしょう」とふんぞり返っているが、食べるものもなく、住む家もない、そういう人々が地球にはまだたくさんいる。人類が平和に、そして心休まる生活ができるように努力することの方が、ミサイル開発よりも重要ではないのだろうか。

 迎撃ミサイルの実験成功の様子に歓喜している人たちがいるのをテレビで知り、愕然とし、そして腹が立った。
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