友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

気の遣い方

2007年12月15日 16時37分29秒 | Weblog
 気の遣い方というのは、人様々だなあーと思う。昨夜、東京からの新幹線の最終に乗れなかったカミさんは、普通列車を使って今朝、帰ってきた。もうすぐ78歳になる私の姉に付き合って、東京で行われた秋川雅史さんがゲストで出演するコンサートに出かけたのだが、人身事故のために新幹線の最終に乗れなかったのだ。正確に言えば、カミさん一人ならば走れば間に合ったのだが、何しろ78歳になろうとする姉が一緒だから気をつかっていたのだと思う。結局2分くらい遅れたために、間に合わなかったそうだ。

 人身事故だから払い戻しの証明書はもらえたけれど、JR西日本の支払いなので、米原以西のJR窓口でしかできないと言われたそうだ。全くお客を馬鹿にしていると思うけれど、何はともあれ無事に帰ってくることができてよかった。それにしても、普通列車で夜を通して帰ってくるよりも、ホテルに泊まった方が身体も休まると私は思う。「そんなもったいないことしなくても、帰ってこられるんだから」とカミさんは言うが、姉のことを思えば1泊した方がよかったのではないか。しかし、姉もまたカミさん以上に頑固でケチだから、やはりカミさんと同じ結論であったに違いない。

 私と孫娘は結局午前零時を超えて起きていた。私は孫娘が寝入るのを確認してからお風呂に入り、それから床に入ったので午前1時を回ってしまっていた。今朝6時過ぎに名古屋駅に着くと言っていたから、家に帰るのは7時くらいかと思っていたら、そのとおりだった。しばらくは北の応接間にいたが、NHKのBSテレビで『ちりとてちん』が始まると、南の居間にやってきてテレビをつける。おいおい、私たちはまだ眠り足りないよと思うけれど、そのための配慮なのだろうが音量は小さくしている。でも眠っていてもいいよと言う方が無理で、結局孫娘も目を覚ましてしまった。

 昼から、東別院ホールで行われる名古屋哲学セミナー主催の『澤地久枝さんの講演会』に出かけたが、満席で入れないと断られた。それでも申し訳ないからと、講演の記録を後日無料で送ると言われた。なかなかの気配りである。そんなこともあろうかと思い今朝、電話をしたのだが留守電話になっていたので、とにかく行ってみようと出かけたのだが甘かった。私のように前売り券を持っていない人がかなりいたから、澤地さんの人気が高いことを知った。

 自分が共鳴できる人の話だけでなく、もっといろいろな人の話を聞いてもよいのではないか、そう考えられるように私はなってきた。先に書いた『国家を斬る』の中で、佐藤優氏は「直接危害を加えられない限りにおいてはその固有性を認める」と言っている。尖った連中の一番いやなところは、相手の言うことに耳を貸さないところだ。そんな時代から一歩踏み出す時期に来ていると改めて思う。

 そうこうしているうちに、もうすぐ陽が落ちる。今日は曇っているから既に暗い。これから忘年会に出席する。明日は誕生日会の家族で片山津温泉へ出かけるから、ブログはお休みだ。だんだん時間が迫ってきた。にもかかわらず、カミさんは相変わらずそばから明日の予定を聞いてくる。カミさんにしてみれば、一人でいても淋しいから話し相手が欲しいのだが、私はなかなか集中してできない。そんなわけで、これでおしまい。
コメント
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