友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男のいない社会

2009年02月01日 19時02分13秒 | Weblog
 新聞のテレビ番組の紹介欄で『非婚同盟』というドラマが取り上げられていた。毎週月曜日から金曜日の午後1時30分の放送である。この時間帯にテレビを見ている専業主婦を意識して作られたもののようだ。私は時間が充分にあるのだから、ドラマを見ようと思えば見られるはずだが、この時間帯にテレビが見たいという気になれない。多分習慣なのだと思う。

 ドラマのテーマは「恋愛はするけれど結婚はしない、出産しても子どもは自分で育てる」というものらしい。映画『反恋愛主義』にも「恋愛はもういいの、子どもだけが欲しいの」というセリフがある。ドラマの方はどういう設定か知らないが、確か映画の方はキャリアウーマンだった。日本の若者が「恋愛はめんどくさい」とインタビューに答えていたが、そういう時代なのかなと思った。

 先のNHKテレビが特集していた『女と男 最新科学が読み解く性』で、男は500万年後にはこの世から消えると予想されていた。そんなに長くなくても、人類は絶滅するだろう。男性の精子が衰えてきていることよりも、もっと現実的には地球温暖化や食糧難や水不足が必ず起きてくることだ。その前に、核戦争でも起きてしまったなら、地球から生物そのものが消えてしまうかもしれない。

 産業革命後の急速な生活の豊かさが精子を少なくしてしまったのか、あるいは一夫一婦制が人間に進化をもたらしたのか、そんなことも報じていた。そんな時代へ歴史は向かっていることは確かなようだ。そしてまた、SEXによらない子どもの誕生を取り上げていた。男女別々の2組の同性愛者が異性から譲り受けた精子で生まれた2人の子ども、つまり6人で生活(常時ではないようだった)していることも紹介されていた。

 SEXによらない子どもが誕生するのであれば、男は必要なくなる。優秀な男の精子バンクがあり、そこで自分の好みの精子を選び受精して子どもを生む。さらに、受精卵を誰かお腹を貸してくれる女性の子宮に移し、子どもを生んでもらうことだって今日の医学なら可能だろう。医学の進歩は同時に人類の滅亡につながっているのかもしれない。いや、男性はいなくても女性だけで生存可能な社会になっているのだろう。

 こうなると家庭は存在しないし、恋愛も必要ないし、そう確実に男は優秀な「精子」以外は必要なくなる。人類が文化を持った時からズッーと課題だった「男と女の喜びも哀しみも」一体何だったのかというくらい一気に解決してしまうことになる。その時は、映画や文学の中心課題は何になるのだろう。

 愛し合うことも(同時に傷つけあうことであっても)ない社会に、今の私は何の興味もない。どろどろとした不完全な社会にこそ喜怒哀楽があり芸術がある。だから生きていて良かったと思う。
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