友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

教え子がやってきた

2009年02月10日 18時54分51秒 | Weblog
 教え子の女性が二人、我が家に遊びに来てくれた。「ブログに書かれている先生の庭が見たかった」と言う。残念ながら冬場のルーフガーデンは鉢が並んでいるだけで寒々としている。それに今年は外壁塗装工事や屋上防水工事のため、ルーフガーデンには何もないようにして欲しいといわれているので、これらの鉢をどうしようかと悩んでいるところだ。春はチューリップ、夏はサルビアを植え込んできた鉢は、中の土を出して空にすれば何とかどこかに収納できるだろう。

 昨年、増やしてしまったランタナは知人が欲しいと言うので差し上げればいいし、残れば長女の新居の庭に植えさせてもらえばいい。春から秋まで、花が咲いている間のランタナは見栄えもするけれど、冬は「葉が落ちてみっともない」とカミさんが言うように、この時期のランタナの引き取り手はないかもしれない。問題は、もう何十年にもなるバラや金木犀や義父から預かったニンドウなどだ。これらは鉢も大きく動かすとなると大変な作業になる。どこへどのように移動させるか、工事の方と相談しなくてはならない。

 「来年の春にまたおいでよ。庭でお茶が飲めるようにしておくから」と彼女たちに話す。高校で出会って40年になると言う。「あの時、40年後なんて想像もできなかったね」。そのとおりだ。当時24歳の若造の私には40年後の姿など全く予想できなかった。二人とも結婚しているが、一人は子どもがいない。夫婦二人での生活だけれど、夫の母親が健在でまだ一人で暮らしているという。その母親はダンナの死とともに離婚されたようで、親戚から何かさげすまされているような気がしてならない。そこで、母親のために墓を買ったと言う。「お母さんと私たち二人の戒名も彫ってもらった」。

 ドライでそんなことには関心がないように見えていた子だったけれど、夫を大事に思っているし、その夫の母親だからいっそう大切に思っていることがよくわかる。もう一人の方は子どもが二人いるがともに男の子で、下の子が「今、反抗期なの」と言う。「とってもいい子で、大学生になっても私とはべたべただったの。それが就職の大変な時に、夫婦で旅行に行ってしまい、帰ってきたら家の中がぐちゃぐちゃ。オレのことを放っておいたというわけ。怒って家を出ていちゃって、全く何にも連絡してこないのよ。異常でしょう」と話す。

 母親とすれば、あんなに仲好かった蜜月の頃が忘れられないのだろうが、男の子からすれば「反抗期」なんかではなく、一人前になろうとしているのだろう。「父親が入院して手術もするのよ。それでも何も言ってこないものなの?」と心配する。「放って置けばいいのじゃないの。あなたの方がかまってほしがってるのよ。今は、ご主人のことだけ考えてあげればいいし、どんな結果になろうともそれを受け止めることの方が大事じゃない」。息子のことが気にかかるのだろうけれど、息子はもう30歳の大人だ。いつまでも子ども扱いされたのでは親元には来にくいだろう。

 ダンナは手術を乗り切るかもしれないし、そういかないかもしれない。「苦しむのを見るのはイヤ」と言うのはわかるが、現実は彼女の支えしかないだろう。どんな結果になろうとそばにいるのは彼女しかいない。それぞれが人生を生きてきて、時にはこんな風に話ができる。それでいいと思う。
コメント
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