友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

元気だせよが裏目になった

2009年02月07日 19時10分15秒 | Weblog
 アキレス腱を切断し、思うように回復しないと落ち込んでいる友だちがいる。残念ながら私たちはもう若くはない。リハビリの成果が目に見えるようにはっきりしないから、イライラもするだろうし、なんとなく気力までもが衰えていくように思うものだ。落語が好きだった友だちのことを思い出し、イタズラ心から「批評に値しない」小話を送ってみた。恋女房の尻の穴にキスをして、「臭かった」というだけの話だ。

 すると彼は「いくら落語が好きなわたしでも、コメントのしようがありません。とても艶話になっていないように思います。人間の想像力をくすぐるような話で、秘め事を連想させるのが、艶話のような気がします。昔、『這えば立て、立てば歩めの、親ごころ』という句がありましたが、それをもじって、『這えば立て、立てば屈め(かがめ)の、妻ごころ』という川柳があります。私にはそこまでが限界です」と真面目に答えてくれた。

 会話でもそうだけれど、どうも私は想像力を働かせるような言葉の使い方ができなくて、ついストレートな言い方をして相手を怒らせてしまうことがある。親しければ親しいほど、相手が自分の言葉をカバーしてくれるだろうと思い込んでしまうのだ。これは原始的な人間関係にあることを先日のNHK『爆笑問題』が取り上げていた。人間が言葉を発する時、受け取る側が想像力を働かせているから意味が伝えられるのだという。

 文学や芸術の世界では、受け手が作品から発せられる何かを想像し創造していく。送り手の感性や思想や問題意識が表現手段と重なって発せられ、受け手がこれまた己の感性と思想と問題意識で受け止めながら想像力を発揮して創造していく。送り手が意図したものではない世界が受け手の側に構築される場合だってある。よい作品かどうかは、受け手に想像力を働かせられるものがどれだけあるかないかである。

 人間も同じで、相手に共感とか同意とかあるいは「いとしい」とか「恋しい」とかを伝えられなければ、上手な会話ではないのかもしれない。かつて、中学からの別の友だちが落ち込んでいたので、エロ小説を読んでみたらと勧めたところ、「オレはより高いものを目指す」と言い返されてしまった。そういえば10数年間も友だち以上恋人未満を続けている友だちも「死ぬまでにやりたいことのベストテンに男と女のことは入らない」と断言した。

 少しは元気を出せよとイタズラでしてみたが、私のレベルの低さを露呈しただけのことだった。エロ的な雑念やSEXは、人にもっと活力を与えてくれると思っているのはどうやら私だけだと思い知らされた。みんなそんなに聖人だったのか、どうして私はこんなにも卑俗なのか、ちょっと情けなくなった。でも今更どうしようもない。卑俗を極めてみるかと開き直っている。
コメント
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