昨日、教え子が持ってきてくれたバレンタインチョコを持って行った。会議の途中の休憩時間に食べてもらおうと思ったからだ。仲間の中には自分の母親から「チョコをもらって気持ち悪かった」などと言う者もいたが、「チョコをもらえるだけでもいいではないか」とひがむ者もいた。定額給付金と違って、いただけるならそれだけでありがたいというレベルではない。定額給付金は(税金である)他人の金をばら撒いて、恩着せがましくわが党に投票してくれという不埒な買収のための金だが、義理チョコでもついでチョコでも、そこには「愛」があるように思う。
話がややこやしくなるかもしれないが、議員に一番大事なものは有権者を思いやる心ではないだろうか。有権者の一人ひとりを知るわけはなく、また全ての有権者を愛する心を持てなどとまでは言わないけれど、少なくとも一人ひとりの有権者に対して真摯であれと思う。真摯であることと、選挙において誰彼の区別なく頭を下げて握手をして笑みを絶やさないこととは、私は違うように思えてならない。電柱にも頭を下げよとよく言われるけれど、実際当選した人の多くはこまめにそうした選挙運動をしてきているが、私はどうしてもできなかった。だから当然なのか、当選できなかった。
ある自治体の議員が、「議会だより」の原稿の修正を求められた。議会で発言したこととその答弁について、書き直して欲しいというのである。事実関係はわからないが、書き直して欲しいという趣旨はその議員の書き方ではわかりにくいということであったのかもしれない。議員は自分が議会で発言したことと違うことは書けないと突き返した。修正しなければ「議会だより」に載せられないとまで言われた。そこで議員は自分のブログで「重箱の隅をつつく無駄な作業をしている暇な議員」と相手を非難した。
確かに地方議会ではこんなやり取りがよくある。「議会だより」の記事を議会事務局が勝手に書いてしまう議会もあるから、質問した議員が書けることは評価できるが、議会で発言していないことまで書けと要求されることは間違っている。まずこの点で徹底抗戦しないと見くびられてしまう。議会のありようにかかわる重要な問題であるのに、ブログで相手を非難するばかりでは解決になっていかない。地方議会の議員のレベルは低いとよく言うけれど、そんなことを嘆いていても議員の質は変わらない。いやでも戦いを挑んでいく以外にはないと思う。
有権者の側にいるからよくわかるが、議員の人柄や考え方をもっとこまめにわかりやすい言葉で伝えて欲しいと思う。議員自身は自分ではわかりきっているつもりなのだろうけれど、全く具体性がなかったり、言葉の使い方も一般市民には理解できないこともある。議員は、議会での発言の趣旨や議会通信の原稿を、発信する前にもう一度普通の市民に読み聞かせて、わかりやすいか確かめて欲しいものだと思う。
話がややこやしくなるかもしれないが、議員に一番大事なものは有権者を思いやる心ではないだろうか。有権者の一人ひとりを知るわけはなく、また全ての有権者を愛する心を持てなどとまでは言わないけれど、少なくとも一人ひとりの有権者に対して真摯であれと思う。真摯であることと、選挙において誰彼の区別なく頭を下げて握手をして笑みを絶やさないこととは、私は違うように思えてならない。電柱にも頭を下げよとよく言われるけれど、実際当選した人の多くはこまめにそうした選挙運動をしてきているが、私はどうしてもできなかった。だから当然なのか、当選できなかった。
ある自治体の議員が、「議会だより」の原稿の修正を求められた。議会で発言したこととその答弁について、書き直して欲しいというのである。事実関係はわからないが、書き直して欲しいという趣旨はその議員の書き方ではわかりにくいということであったのかもしれない。議員は自分が議会で発言したことと違うことは書けないと突き返した。修正しなければ「議会だより」に載せられないとまで言われた。そこで議員は自分のブログで「重箱の隅をつつく無駄な作業をしている暇な議員」と相手を非難した。
確かに地方議会ではこんなやり取りがよくある。「議会だより」の記事を議会事務局が勝手に書いてしまう議会もあるから、質問した議員が書けることは評価できるが、議会で発言していないことまで書けと要求されることは間違っている。まずこの点で徹底抗戦しないと見くびられてしまう。議会のありようにかかわる重要な問題であるのに、ブログで相手を非難するばかりでは解決になっていかない。地方議会の議員のレベルは低いとよく言うけれど、そんなことを嘆いていても議員の質は変わらない。いやでも戦いを挑んでいく以外にはないと思う。
有権者の側にいるからよくわかるが、議員の人柄や考え方をもっとこまめにわかりやすい言葉で伝えて欲しいと思う。議員自身は自分ではわかりきっているつもりなのだろうけれど、全く具体性がなかったり、言葉の使い方も一般市民には理解できないこともある。議員は、議会での発言の趣旨や議会通信の原稿を、発信する前にもう一度普通の市民に読み聞かせて、わかりやすいか確かめて欲しいものだと思う。