今日はNPO「おたすけ」が考案した井戸掘り道具の試験を行なった。バレンタインなのに?と驚くことはない。もちろん誰も驚かれないなのかも知れないが‥。何しろバレンタインとは無縁の老人たちであるから、「企業の宣伝にのせられるようなみっともないマネはしない」と気高いのだ。私はすでに本命チョコをもらっているので、チョコをあげるというイベントも「それはそれなりにいいのではないの」と他人事のように言っておいた。
それに、近くのコンビニでお昼のお弁当を買ったところ、おばさんの店員さんが「はい、どうぞ」と包みをくれた。お弁当もお茶ももらったのに何かなと思っていると、「今日はバレンタインですから」とテッシュとチョコをくれたのだ。そこで皆さんに「可愛い店員さんから皆さんへプレゼントですよ」と配ったところ、バレンタインチョコなんてと言っていたのに、受け取る表情はどこかうれしそうだった。中には「もう一つもらっていいかな」と言う人もいた。
定額給付金でもそうだけれど、あげると言われればそれなりに嬉しいものだ。あげる側からすると、たとえば食べ物なら相手が一番好きなものを選び、「美味しい」という一言が嬉しいものなのだ。手袋のような装飾品なら、相手に身につけて欲しいためだが、それはきっと一緒にいるような気分なのだろう。友だちの中には相手とお揃いのものを持っていることを自慢する者もいるが、私はちょっと恥ずかしくてだめだ。
まあ、そんなことはどうでもよいことで、感心したのは「おたすけ」の職人技の素晴らしさだ。かなり以前になるが、どうしても井戸掘りが進まないところがあった。岩盤や粘土層を掘り下げるにはどうすればいいか、思案を重ねた末に2つの道具を作った。そうなのだ。考えただけでなく、自ら鉄板を切り、穴を開け、打ったり削ったり、溶接したりして、道具を作り上げてきたのだ。その道具が目的どおり作業するか試してみようというわけである。
試し掘りしてみて、いくつかの改良すべき点も見つかったし、作業の手順やその時の道具の使い方もわかった。まずまずの成果であろう。明日、身体のあちらこちらが痛まないように願いばかりだ。お金をかけず、高額な機械に頼らず、自分たちが手作りで掘り進めることが私たちの願いであり誇りでもある。
まるで春のような陽気のバレンタインデーにあって、黙々と肉体労働に励んだけれど、願わくば来年のバレンタインには、「子どもの遊び」としか見ていないカミさんたちからお褒めの言葉と甘いチョコがいただけるようになりたいものである。
それに、近くのコンビニでお昼のお弁当を買ったところ、おばさんの店員さんが「はい、どうぞ」と包みをくれた。お弁当もお茶ももらったのに何かなと思っていると、「今日はバレンタインですから」とテッシュとチョコをくれたのだ。そこで皆さんに「可愛い店員さんから皆さんへプレゼントですよ」と配ったところ、バレンタインチョコなんてと言っていたのに、受け取る表情はどこかうれしそうだった。中には「もう一つもらっていいかな」と言う人もいた。
定額給付金でもそうだけれど、あげると言われればそれなりに嬉しいものだ。あげる側からすると、たとえば食べ物なら相手が一番好きなものを選び、「美味しい」という一言が嬉しいものなのだ。手袋のような装飾品なら、相手に身につけて欲しいためだが、それはきっと一緒にいるような気分なのだろう。友だちの中には相手とお揃いのものを持っていることを自慢する者もいるが、私はちょっと恥ずかしくてだめだ。
まあ、そんなことはどうでもよいことで、感心したのは「おたすけ」の職人技の素晴らしさだ。かなり以前になるが、どうしても井戸掘りが進まないところがあった。岩盤や粘土層を掘り下げるにはどうすればいいか、思案を重ねた末に2つの道具を作った。そうなのだ。考えただけでなく、自ら鉄板を切り、穴を開け、打ったり削ったり、溶接したりして、道具を作り上げてきたのだ。その道具が目的どおり作業するか試してみようというわけである。
試し掘りしてみて、いくつかの改良すべき点も見つかったし、作業の手順やその時の道具の使い方もわかった。まずまずの成果であろう。明日、身体のあちらこちらが痛まないように願いばかりだ。お金をかけず、高額な機械に頼らず、自分たちが手作りで掘り進めることが私たちの願いであり誇りでもある。
まるで春のような陽気のバレンタインデーにあって、黙々と肉体労働に励んだけれど、願わくば来年のバレンタインには、「子どもの遊び」としか見ていないカミさんたちからお褒めの言葉と甘いチョコがいただけるようになりたいものである。