友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

心はまだ青春にある

2009年02月16日 21時04分40秒 | Weblog
 1月の初めから右手親指の付け根が痛い。何が原因なのかはわからないけれど、これも歳を取ってきた証拠だろう。曲げても押さえてもそれほど痛いわけではないが、引っ張ると強い痛みがある。日常生活に支障はないけれど、物を持ったり親指で挟んだりした時、あるいは何でもない時なのに、どうかするとキヤッとした痛みが走る。先日の井戸掘りでも力を入れなくてはならないところで、痛みのために持ち上げられなかったりして困った。

 友人に「親指の付け根が時々痛むんだけど‥」と相談してみるが、やはり「歳を取ればいろんなところにガタが来るものですよ」と言われてしまう。医者に診てもらったところで、たとえ骨折していても、じゃーどうするというわけではなく、塗り薬をいただくくらいだろう。結局は回復を待つしかない。パソコンも打てるし、まあ文字を書く時に長時間は無理なくらいだから、もう少し様子を見ていこうと思う。

 中学からの友だちがアキレス腱を切断し、なかなか回復しないと苛立っていたけれど、歳を取るということは治りが悪いということのようだ。そもそも彼は、ガードを飛び越えようとしてアキレス腱を切ってしまったのだが、若い時ならなんでもなくできたイメージは残っているのに、肉体は確実に衰えているからややこしい。私も自分の頭は高校生の時から少しも変わっていないように思っている。ところが鏡に映る自分の顔を見ると老人になっている。これは一体どういうことなのだろうと考えてしまう。

 肉体が年老いていくのであれば、精神も同様に老いていけば納得できるのに、精神はまだ青春にあるのに、肉体は年月とともに老化していくのだから、そのギャップは大きい。しかし、やはり還暦を過ぎたなら覚悟をしなくてはならないと私は決めてきた。オバマ大統領は47歳だ。若い人が活躍する方がいい。明治維新を成し遂げた志士たちも若かったし、ロシア革命を指導したレーニンも頭は禿げているがその時は47歳だった。若い人に任せることも年取った者の務めだ。

 年老いたなら何もせずにただじっと死を待つということは、私の生き方ではないと思っている。若い人々の足を引っ張ることのないところで、まだ青春にあると思っているうちに、自分の生き場所を見つけたい。感性あるいは感受性がまだ敏感なうちにやれることをやっておきたい。「カミソリみたいな感受性」も今ではかなり刃こぼれができてしまっているが、いやむしろそうであるが故に見えるものがあり、とらえられるものがあるように思う。

 アキレス腱を切断したことも何か運命なのだろう。そこで考えたことや生まれた時間で行なえる何かがあるはずだ。時々やってくる親指の痛みも私へのメッセージかもしれない。バレンタインチョコのような贈り物が控えているかもしれない。これくらい楽観的な自己中でもいいのではと思うけれど、迷惑かな?
コメント
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