大学祭を覗いてきた。友人の娘さんが大学に入って、演劇をしているので見に行って欲しいと手紙をもらった。それで11月3日の大和塾のチラシを持って出かけた。久しぶりの大学際だ。以前に一度、大学祭の時に来たことがあるけれど、それも何のために行ったのか覚えていない。覚えているのはたくさんの屋台があって、人がいっぱい来ていたことくらいだ。私の子どもたちに大学祭を見せたくて行ったのだったかな?そんな気がしてきた。
大学はどこでも門があって、敷居が高い。学生運動が盛んだった後、どこの大学も門を作り垣根を廻らして、社会から断絶した区域にしてしまった。他所の学生や社会人は入っていくことは出来ないし、大学生も大学は檻のように感じているのではないだろうか。私たちの大学の頃とはすっかり様子も違う。それでも大学の中に一歩入ると、壁や階段や廊下がなんとなく懐かしい感じられた。
外れの校舎の3階に、演劇の会場はあった。観客席は30席くらいだろうか、一番前は座布団が置いてあって、座って見られる。教室の関係からかずいぶん横に長い観客席だ。イス席は2列で、その後ろは照明と音響の係りになっている。私は演劇を見ることはあっても機材は知らないが、それでも結構本格的な感じがした。出し物は『君は宇宙の夢をみる』というもので、脚本は劇団のみんなで作ったものだ。しかし、これがなかなかの出来栄えで見応えがあった。
「無念巡礼!浮世限りのてんてこ舞い、一夜限りのくるくる舞い!思いは巡りくるくる回る、くるくるくるくる君がくる、今宵限りのきりきり舞い!」。幾度か歌舞伎の口上のように、あるいは呪文のように、唱えられるこの言葉が面白いし、舞台を集約しているようにも思える。幕末に流行った「いいじゃないか」と踊り狂う様にも通じるものがある。けれどもそんな退廃的なものではなくて、真摯に「愛」を追求している。
そう、テーマは「愛」と言ってもよいだろう。脚本の下敷きになっているのは童話の「100万回生きたねこ」で、ピーターパンやかくれんぼやアンドロイドや長靴をはいた猫などが出てくるから、誰もが知っている子どもの世界を素材に、「何度も生き返るなはなぜか」と迫る。それは「本当に愛する人がいないからだ」、そんなセリフがある。また、「本当に一人ぼっちな人はいない」、こんなセリフもある。
学生の演劇がこんなにレベルが高いものだとは知らなかった。余分な言葉や動作があったとしても、それらは回を重ねていくうちに淘汰されもっと洗練されていくだろう。この劇団ならばきっとそうなっていくと思う。新劇やミュージカルぽいところや、いろんな舞台が各所に見られるのもいいじゃーないかと思った。声はよく出ていたし、芝居の作り方もプロ以上だと思う。無料で見せるのがもったいないほどだ。
鼻の形がすばらしくきれいな女優さんがいた。アンドロイドの役だったので、ずっと変わった形のメガネをかけていた。最後の舞台挨拶の時に、そのメガネをはずしたので目を見ることが出来たけれど、瞳が輝くように美しかった。大学の庭には、セラームーンの格好の女性や、さまざまな服装の女性や男性がいて、実に華やかだった。全部を見て回ったわけではないけれど、社会へのアピールを目的にした看板などはなかった。大学祭はすっかり変わってしまった。