友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『流星』

2011年10月18日 22時03分23秒 | Weblog
 NHKテレビの夜8時からの「歌謡コンサート」を見ていたら、俳優の里見浩太郎さんが出ていた。この人も歌を歌うのだと思って聴いたけれど、なんとも切ない歌だった。歌の題名は『流星』とあった。歌詞をインターネットで調べてみると、1番が「残り火の生命が 燃え尽き消えるなら それも良し 逝くも良し 潔いよいならば」、2番が「愛しき彼の女 手枕にするなら それも良し 抱くも良し 秘め事であれば」とある。その後で歌った北島三郎さんの歌も何か寂しい歌であったけれど、題名さえも覚えていない。

 『流星』の歌詞はまるで年老いた人への葬送曲のようだ。死んでいく人はそれでよいのだろう。私はどんな風にして逝くのだろうか。そんなことがフト浮んで来た。ああ、私も歳だなあと思った。近頃、体力がないなあと感じることがある。足の膝が痛くて、歩けなくなって来たことや、心拍数が低くなったことも大いに関係している。若い、若いと思っていたのに、鏡に映る自分を見るとナンとまあ年寄りかと思ってしまう。大和塾の11月3日の市民講座『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』のポスターを貼ってくれるようにお願いに回っている。「ええ、いいですよ」と言ってくださったのに、未だに貼ってくれないところもある。そうかと思えば、「こういうポスターが大事ですよね。いくらでも協力させてもらいます」と言ってくれるところもある。

 「貼るのはいいけど、ちゃんと剥がしておけよ」とぶっきらぼうに言う人や、「こんな凄いことやってるんですか。皆さんに話しておきますね」と言ってくれる人もいる。若い時の私なら、励ましてくれる言葉に勇気付けられ、ますます調子に乗って頑張っていただろう。逆に、辛い言葉を受けた時も、なにくそという気でもっと頑張っただろう。それが今、励ましの言葉に思わず泪してしまい、辛い言葉にもっと落ち込んでしまう。根性なしになってしまった自分が情けない。ひたすら必死に立ち向かっていく自分はどこに行ってしまったのだろう。こんな風にして、人は終末期を迎えるのだろうか。

 「NPOにすると行政からお金が出るのかね」と聞かれた。人々はNPOならば行政から何らかの援助を受けていると思っているようだ。残念ながら行政からの援助はない。もっと言えば、行政と結びついたNPOしか生き残っていかないだろう。これからの社会を考えてみると、高齢化はさらに進むのに経済の伸びは見込まれないと考えるのが普通だろう。だからこそ、生活のスタイルは変わっていくし、価値観そのものが大きく変化していくだろう。それは右肩上がりではない、自給自足に近い生活になっていくと私は思う。工業生産に従事する人は減り、農業に従事する人が増えるだろう。サービス業がさらに盛んになるのはそれだけ生産力が高くなったということだろう。それが実現できないようなら、人類の生存そのものが危ないような気がする。
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