大和塾の5周年記念『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』の上演まで、ちょうど1ヶ月になった。今日はそのための例会で、最後の詰めを話し合った。まだまだ、ポスターやチラシが行き渡っていないので、喫茶店や病院や美容院などあらゆるところに貼ってもらうように頼む。会場の会館大ホールは観客席が750席ある。なんとか空きの無いようにしたい。出し物である『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は観ていただければ絶対に満足してもらえる作品である。それをどうやって人々に知らせていくか、みんなさんの話題に乗せていくか、私たち塾生の大きな責任である。
リンカーンではないけれど、「市民の 市民による 市民のため」を目的に、これまで22回の市民講座を開いて来た。講演の内容も、宗教・福祉・医療・介護・芸術・教育・歴史など幅広い。塾生の皆さんの話し合いの中から、ぜひこの人に来ていただきたいと声の上がった人に講師をお願いして来た。講座の参加者も次第に増えて、今では毎回80人ほどの皆さんが聞いてくださる。「行政の力も借りずに、よく続いているね」と感心されるけれど、開催している私たちとしてはまず自分たちが聞きたい話であり、より多くの人に聞いてもらいたい話だから、全く悲壮な思いなどなく楽しんでいる。
今回の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は、歌舞伎や浄瑠璃で演じられる安珍と清姫の物語を、尺八と琴の演奏でソプラノ歌手の中川洋子先生が歌い上げるもの。私は名古屋のコンサート会場で聞いたけれど、5周年の記念はこれだと思った。中川先生は愛知教育大学音楽科で声楽を教えている。音楽教育にかける情熱は並々ならぬものがある。それに地域での音楽活動にも力を入れていて、音楽ボランティアや合唱の指導などを行っている。明るい性格で多くのファンを持っているが、合唱の指導はなかなか厳しいものがある。この『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は中川先生のために作られたオリジナル曲だけに、それだけでも価値のある作品だと思う。
「女の情念をどんな風に歌い上げるのか、楽しみだ」と男性の塾生が言う。美男子の安珍を見た清姫は一目で好きになってしまう。もう一度会う約束を交わすのに、安珍は果さない。追う清姫、逃げる安珍。人を愛するとはどういうことなのだろう。男と女の恋するという感情とその思いは果たして差があるのだろうか。安珍はずるいプレイボーイなのか、清姫は純情で情熱的な女性なのか。恋が結ばれるとはどうなることを言うのだろう。様々な思いを胸に抱いて、観て欲しいし聴いて欲しい。
5周年を節目に、大和塾も変わっていかなくてはならない。いつまでも無料の講座を開くだけでなく、もっと市民活動として定着していかないとダメだと思う。一人ひとりが自らお金を出し口も出し、智恵と労力を提供していくことが市民活動として根付くことだと思う。
リンカーンではないけれど、「市民の 市民による 市民のため」を目的に、これまで22回の市民講座を開いて来た。講演の内容も、宗教・福祉・医療・介護・芸術・教育・歴史など幅広い。塾生の皆さんの話し合いの中から、ぜひこの人に来ていただきたいと声の上がった人に講師をお願いして来た。講座の参加者も次第に増えて、今では毎回80人ほどの皆さんが聞いてくださる。「行政の力も借りずに、よく続いているね」と感心されるけれど、開催している私たちとしてはまず自分たちが聞きたい話であり、より多くの人に聞いてもらいたい話だから、全く悲壮な思いなどなく楽しんでいる。
今回の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は、歌舞伎や浄瑠璃で演じられる安珍と清姫の物語を、尺八と琴の演奏でソプラノ歌手の中川洋子先生が歌い上げるもの。私は名古屋のコンサート会場で聞いたけれど、5周年の記念はこれだと思った。中川先生は愛知教育大学音楽科で声楽を教えている。音楽教育にかける情熱は並々ならぬものがある。それに地域での音楽活動にも力を入れていて、音楽ボランティアや合唱の指導などを行っている。明るい性格で多くのファンを持っているが、合唱の指導はなかなか厳しいものがある。この『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』は中川先生のために作られたオリジナル曲だけに、それだけでも価値のある作品だと思う。
「女の情念をどんな風に歌い上げるのか、楽しみだ」と男性の塾生が言う。美男子の安珍を見た清姫は一目で好きになってしまう。もう一度会う約束を交わすのに、安珍は果さない。追う清姫、逃げる安珍。人を愛するとはどういうことなのだろう。男と女の恋するという感情とその思いは果たして差があるのだろうか。安珍はずるいプレイボーイなのか、清姫は純情で情熱的な女性なのか。恋が結ばれるとはどうなることを言うのだろう。様々な思いを胸に抱いて、観て欲しいし聴いて欲しい。
5周年を節目に、大和塾も変わっていかなくてはならない。いつまでも無料の講座を開くだけでなく、もっと市民活動として定着していかないとダメだと思う。一人ひとりが自らお金を出し口も出し、智恵と労力を提供していくことが市民活動として根付くことだと思う。