国の原子力委員会は原発事故にかかるコストを1キロワットあたり1.2円と発表した。これには除染費用は含まれていないと言う。異論もあって16円になるという試算もあった。なんと馬鹿馬鹿しい委員会なのだろう。原子力委員会は原発事業を進める立場にあるからだろうけれど、わざわざ単価を計算して見せて納得させようというのだろう。原発は事故が起きれば人が住めなくなるし、特定の地域だけに被害が留まるとは断言できない。今回の福島原発では何千人、何万人という死者は出なかったけれど、それが起こらないと誰も言えない。原子力発電で使われた核燃料も完全に処理することも出来ない。重大な事態になる前にやめるべきだろう。
今、地球全体でいろんなことが起こっている。温暖化も人口増加も経済の世界的な規模での停滞もある。脱原発社会へ向かうことなら、人類の英知で何とか実現できるだろう。経済活動の停滞も解決できるかも知れないし、破綻へ向けて時間を稼ぐことくらいならできるだろう。人間に出来ることなど微々たるものなのに、人間は自分で自分を制御できない。権力を手中にしたオバマ大統領も日本の民主党政権も、思い切った改革など出来ない。それが現実が持つ力なのだろう。若い時の私はそれが許せなかったけれど、一気に突き進むことはない、むしろ急がない方がいいのではないかと思ってしまう。
声を上げなければ、社会は現状維持に甘えてしまう。「これはおかしい」と気づいた人は声をあげなければ進歩も改革もない。「みんながその気になって一気にやらなければ、改革は進まない」。そう考える人々が増えてきた。「時には独裁者が必要だ」などとまで言う人もいる。大阪市長選挙に立候補した橋下徹元知事も「強い力」を求めている。権力を集中させていったい何をすると言うのだろう。日の丸を掲げ君が代を歌わせる、そうした「統制力」こそが政治の力だというのであれば、それは大きな間違いだと思う。いろんな人がいて、いろんな意見があってこそ、健全な社会だ。意見がひとつにまとまるのに時間がかかりすぎるからと言って、強権的にまとめてしまうのには絶対に反対だ。
国家の機密文書を内部告発してきたウィキリークスが資金難のために活動停止に追い込まれた。代表を性犯罪者に仕立てたりしたが、とうとう権力は金融を動員して資金の封鎖を行ってきた。ウィキリークスがこのまま崩壊されてしまうことはないと思うけれど、政治は敵対するものは決して許さないことを証明している。インターネットは誰でも自由に発言できるから、人類はここで初めて本格的な発言の自由を実現した。しかし、権力はあくまで情報を管理下に置いてしまいたいのだ。
99%の貧しい人々と富を独占している1%の富裕層のアメリカは、普天間問題の早期解決を迫っている。沖縄は面積も人口も1%しかないのに、米軍専用施設の74%が集中している。どうして沖縄がこんなに負担を負わなくてはならないのかと島民が言うのは当然だろう。どこも引き受けない負担がなぜあるのかと言えば、安全保障政策があるからだ。国を守るために、沖縄に犠牲を強いているのだ。それならば安全保障政策を放棄してしまえばいいと私は思う。世界中の人々が戦争はイヤだと思っているのだから、全ての国が戦争放棄を宣言すればいい。自然を変えることは出来なくても、これならば人間の知恵で実現できる。