アメリカで若者たちがデモを行っている。日本のデモはどちらか言えば、整然と隊列を組んで行進するスタイルだった。かつては隊列をジグザクに動かして、警官隊にぶつかるデモが学生たちの主流だった。過激になってからはヘルメットを被り、顔をタオルで覆い、ゲバ棒を持っていた。そのどちらにしても、指揮者の命令下で行われていた。ところが、ニューヨークのウォール街で行われたデモを見ると、みんながそれぞれ勝手なことをしている。もちろんプラカードを掲げ、声高に主張をしている人たちもいる。そうかと思うと公園か広場に陣取って演説をする人、それに拍手を送る人、ノートパソコンでデモへの参加を呼びかける人などがいる。
日本人は何をするにも几帳面で、統制とか整然とか、指揮する人と従う人がはっきりと存在する。アメリカのデモはなにやらピクニックのようだ。朝までウォール街に泊り込むとかで、寒さの中でも人の輪が温かく見える。それに掲げる主張もかつての日本のデモと違う。「反帝」とか「資本主義打倒」とかではなく、「資本主義がおかしくなっている」という。銀行や金融の経営者は、でたらめな経営でリーマンショックを起こしておきながら、何の責めを負っていないのはおかしいと主張する。現在のアメリカの失業率は10%近くあり、大学を出ても就職先がない。このような経済不況を作り出した人たちが何の責任も果さないのはおかしいというのである。
「資本家を打倒せよ」ではなく、「責任を果していない」と。資本家が金を儲けるのは自由だけれど、不況を起こしておきながら自分たちはいい暮らしを維持しているのは「責任を果たしていない」のであり、資本家も血を流してみんなが働く場所をつくれと言うのである。新自由主義は経済競争を促進することで活性化を呼び込もうとしたけれど、うまくはいかなかった。資本を持つ者の存在を認める代わりに、利益の分配を働く側にもよこさないと結局、経済は成り立たなくなるという論理のようだ。
ギリシアの財政破綻を契機に、ヨーロッパの危機が広がっている。経済の動きを政治がコントロールすることはできないのかも知れない。いや、そもそも経済活動が政治活動を変えてきたのだろう。IMFは各国が一斉に取り組めば危機を乗り越えることが出来ると言うけれど、それが私にはどうしても理解できない。先進国は軒並みに経済の停滞あるいは不振に陥っているが、かろうじて後進国の経済成長が世界経済を支えている。そうであるなら、後進国が先進国並になったなら世界はどうなるのだろう。富の蓄積は急速になくなってしまうのではないのか。
それは新しい時代の幕開けかも知れない。国とか民族とか、そんなものを超えて、人々は生き残るために手を携える時代なのかも知れない。人口がもうすぐ70億人となるそうだ。1959年では30億人であった世界の人口は1998年に2倍の60億人となり、それからわずか13年で10億人増えた。地球号で生きていくための新時代が必ず来るだろう。
日本人は何をするにも几帳面で、統制とか整然とか、指揮する人と従う人がはっきりと存在する。アメリカのデモはなにやらピクニックのようだ。朝までウォール街に泊り込むとかで、寒さの中でも人の輪が温かく見える。それに掲げる主張もかつての日本のデモと違う。「反帝」とか「資本主義打倒」とかではなく、「資本主義がおかしくなっている」という。銀行や金融の経営者は、でたらめな経営でリーマンショックを起こしておきながら、何の責めを負っていないのはおかしいと主張する。現在のアメリカの失業率は10%近くあり、大学を出ても就職先がない。このような経済不況を作り出した人たちが何の責任も果さないのはおかしいというのである。
「資本家を打倒せよ」ではなく、「責任を果していない」と。資本家が金を儲けるのは自由だけれど、不況を起こしておきながら自分たちはいい暮らしを維持しているのは「責任を果たしていない」のであり、資本家も血を流してみんなが働く場所をつくれと言うのである。新自由主義は経済競争を促進することで活性化を呼び込もうとしたけれど、うまくはいかなかった。資本を持つ者の存在を認める代わりに、利益の分配を働く側にもよこさないと結局、経済は成り立たなくなるという論理のようだ。
ギリシアの財政破綻を契機に、ヨーロッパの危機が広がっている。経済の動きを政治がコントロールすることはできないのかも知れない。いや、そもそも経済活動が政治活動を変えてきたのだろう。IMFは各国が一斉に取り組めば危機を乗り越えることが出来ると言うけれど、それが私にはどうしても理解できない。先進国は軒並みに経済の停滞あるいは不振に陥っているが、かろうじて後進国の経済成長が世界経済を支えている。そうであるなら、後進国が先進国並になったなら世界はどうなるのだろう。富の蓄積は急速になくなってしまうのではないのか。
それは新しい時代の幕開けかも知れない。国とか民族とか、そんなものを超えて、人々は生き残るために手を携える時代なのかも知れない。人口がもうすぐ70億人となるそうだ。1959年では30億人であった世界の人口は1998年に2倍の60億人となり、それからわずか13年で10億人増えた。地球号で生きていくための新時代が必ず来るだろう。