友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ドイツ「緑の党」の講演会

2011年10月16日 18時39分12秒 | Weblog
 原子力発電を国策としてゼロにすると決めたドイツ。そのドイツから「緑の党」の連邦議員が来るというので、講演を聞きに行った。58歳の眼光の鋭い女性だった。州の環境大臣を務めたこともあるベアベル・ヘーンさんの政治への関心はやはり環境問題が出発点だったそうだ。彼女が引っ越したルール地方は私たちもよく知っている工業地帯で、息子の健康を心配した彼女は環境改善を訴えて市民運動に取り組むようになった。そして緑の党の党員となり、環境問題に取り組んで来たけれど、決して安易な道のりではなかったようだ。

 緑の党が政権与党にまで登り詰めることが出来たのはいくつかの要因が重なった。1970年代、世界各地で学生運動が激化した。ドイツも例外ではなく、過激な運動が展開された。その時の若者たちが各地に散らばり、地道に市民運動を取り組むようになった。40年前のことが今になって実を結ぶことになったのだ。だから緑の党は高齢者にも受けがいいと笑わせた。ソ連は崩壊し、東欧はヨーロッパの仲間入りをした。けれど、世界経済は伸び悩み行き先が見えなくなっている。この変化も人々が緑の党に期待を寄せる要因になった。

 ドイツでは牛を飼っている人々は保守の象徴であったけれど、今は変わってきていると彼女は言う。さすがにドイツ人だと感心して聞いたけれど、牛を飼っている人々は広い農地を持っている。風力発電や太陽光発電にその農地を貸せば、農地から得られる収入と同じかあるいはもっと多くなる。しかもそれは自然エネルギーを振興する社会貢献にもなる。緑の党は理屈で保守的な農民を味方にしていった。彼女は言う。大企業は利益を追求するが、損失が出た時は政府に救済を要求する。(アメリカのウォール街のデモの人たちもそう言っていた。)だけれども、規模が小さくなれば地元に根付いていかなくてはならないと。

 緑の党は脱原発だけを主張して来たわけではない。どのようにして脱原発を実現するかを提案して来た。それはどのような社会をつくるのかという提案でもあった。そこが日本の脱原発運動との違いかも知れない。原発を無くせば、生産はストップし、経済はますます落ち込むことになると企業が説明すると反論できない。電気の無い暮らしができるのかとまで脅され、省エネに努めようとする。するとそれでは電気が売れなくなるので、当面の電力需要には対応できると説明されるとヤレヤレと感謝さえしている。彼女の言うように「小さくする」ことは意味があると思う。

 緑の党の政策は、ルーズベルトの「ニューディール」を真似てグリーンディールだと言う。グリーンに投資して社会の再生を図るというものらしい。会場からは「どうやって政権を取ったのか」という質問があったが、そんなことを質問している程度なのかとガッカリしてしまった。会場にはやはり高齢者が多かったけれど、中には若い女性たちが意外に見られた。原発を身近な問題と考えられる世代なのかも知れない。国政を変えることは難しいけれど、自分たちの住んでいる地域を変えることならば出来る。地域を変えることが出来れば、そのうちに国政も中身が変わっていくだろう。
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