友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

九電社長の発言を聞いて

2011年10月17日 21時44分56秒 | Weblog
 今日は11月3日に大和塾が行う第23回『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』で配布する機関誌の原案作りをする予定でいたが、急に井戸掘りに召集されて出かけた。あの夏の日の井戸掘り以来、どういうわけか膝が痛くて歩けない。しかしメンバーはいないのだから、そんな勝手なことは言えない。貼り薬でごまかして出かけたけれど、夕方になるとまた痛み出した。タイのバンコクが水に浸かっている様子をテレビで見ていたカミさんが、もう帰国して茨城に住んでいるのだから、別に問題はないと思う次女のところに電話をして、洪水の話をしている。それも変だなと思うけれど、次女が「あなたのことを心配しているよ」と言うので、電話を代わって話す。

 毎日、私のブログをチェックしている次女は、「飲みすぎて大変だったみたいだけれど、もう若くないんだから無理しちゃダメだよ」と言う。「いや、無理したわけではなくて、本当に楽しかったんだよ。でも、わからなくなるような飲み方はあかんね」と答えると、「パパ、実は私もそうなの」と自分の失敗を話し出す。タイにいた時はたくさんの友だちがいたので、ワイワイガヤガヤとやる機会が多かった。ところが日本に帰って来て、タイにいた時のような気楽に飲めるような機会がなかったところへ、タイの時の友だちが遊びに来て、つい飲みすぎてしまったそうだ。お酒は楽しく飲むことが一番いい。度を越すような飲み方をしない覚悟が必要な父と娘のようだ。

 度を越すことのない自制心をなくしてしまった私だけど、九州電力も酷い。私は酔っ払ってちょっと記憶がなくなっただけで、他人に迷惑をかけたわけではないが、九州電力はやらせメール問題の原因追及で、記憶を失ったわけでもないのに、知事からの示唆については一切ゼロにしてしまった。この点を記者に質問された九電の社長は「もう、そのことはいいじゃーないですか。第3者委員会は解散していますから」と言う有様だ。第3者委員会は何のために設けられたのか。九電からすれば第3者による検討をしていきましたという隠れ蓑というか、言い逃れのための道具でしかないようだ。

 九電の社長の記者会見をテレビで見ていると、「あんたたちがやれと言うからやってあげたじゃーないですか」、そんな言い分が見え隠れする。「ゴチャゴチャ言うならいいですよ。明日から電気止めましょうか」と言葉は優しいけれど、強面のセリフが飛び出してきそうだ。友だちが「社長は殿様気分でいる」と言っていたけれど、江戸時代の殿様のつもりなのかも知れない。佐賀県知事の「原発推進を発言するように」という示唆があったために、会社を挙げて賛成メールを送ってしまった。そうした会社の体質が社長の他人事のような感覚を生んでいるのだろうし、その逆が真なのかも知れない。他人に迷惑をかけているなどとはこの社長は全く感じていないのではないか、そんな気がした。
コメント
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