雨の日曜日。それでも午前中は降り続くことはなかった。井戸掘りの後始末で動員があると聞いて待機していたが、結局何も連絡は入らなかった。昨日までに、行っておきたい所へは行き、11月3日の案内をしてきた。急に何もやることがなくなると、何だか寂しい。合唱の発表会に行けばよかったとか、生まれた町での紙芝居のお披露目と講演会へ出かけて行ってもよかったとか、なぜか後向きになってしまう。カミさんはゴルフを見ながら、「キャー」とか「入れ!」とか叫んでいるけれど、よくあんな風に試合と一体化なれるものだと感心してしまう。
すると、「サトイモの皮をむいて!」と声がかかった。サトイモの皮むきは私の務めで、ゴルフの中継を背中で聞きながら黙々と皮をむく。カミさんの叔父がやっていた日本料理の店を手伝っていた時、サトイモの皮をよくむいた。上下を切り落とし、真ん中を少し膨らませた六角形にして、これをだし汁で煮て白醤油で味付けする簡単なものだ。サトイモの白さが際立ち、淡白だけれども美味しかった。今日のサトイモは料理屋が出すような粒揃いではないので、かえって手間がかかる。この近所の飲食店では、砂糖と醤油で甘辛くこってりと煮た田舎風のサトイモが人気だ。今晩のサトイモはそんな田舎風が似合っている。
昭和20年代の生活に帰るべきだとか、もっと極端に江戸時代の生活をと言う人もいるけれど、人間は“ある”のにそれを使わない謙虚さを持ってはいない。でも逆に、なければ使わない。電気が無くなると騒がれ、みんな節電に努めた。中には車があるのに自転車通勤に変えた人もいる。何かの目的があれば、人は我慢して努力をする。しかし、自分が節電に努めているのに、隣の家では煌々と電灯が点いていると次第に馬鹿馬鹿しくなるだろう。それでも、隣りは隣りと思えるうちはいいが、自分だけが昭和20年代の生活を続けることには無理がある。アメリカに旅行した時、ロッキー山脈の中でポツンと暮らしている人がいた。電気も水道もないところにどうしているのだろうと不思議に思ったけれど、「好きだからですよ」とガイドは教えてくれた。
世間と隔絶した生活を好む人はそれでいいが、数は少ないだろう。多くの人々は、人の中で生活しているから、出来る限り同じような生活をしようとする。商品に流行が生まれるのもそうした人の心理なのだろう。2歳の孫娘が我が家にやって来て、ジジババを相手に遊んでいても、高校2年の孫娘やその友だちがいれば、身近に感じるのかそちらへ行ってしまう。もっと小さな子どもがいれば当然のように自分に近い子どもに向かっていく。人は子どもの頃から安心できる場所を求めているのだろう。遊ぶ相手、世話をしてくれる人、優しい人、自分に関心を持っている人、そうしたことを一瞬のうちに見破っているのだろう。
世界人口が急激に増えていること、先進国の人口は伸びていないことがテレビで話題になっていた。また、原子力発電の使用済み核燃料をどう処分するのか、目途が立っていないとも言う。そればかりか、点してしまった原子力の放射能が無くなるためには何千万年もかかるそうだ。とても私には理解できない先の話である。昭和20年代の生活も、そうなればもう意味が無いのではないかとさえ思う。私はもう充分に生きてきたからいいけれど、孫娘たちの時代はどうなるのだろう。高校2年の孫娘はそろそろ大学のことを思っているようだ。どこでも行けばいい。なんとかなる。私はそう思うけれど、どんな時代になるかまでは分からない。