友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地球から生まれたものは地球に帰る

2011年10月06日 20時47分30秒 | Weblog
 体調が悪い。原因はわかっている。連絡が来ないストレスだ。体調が悪いと言いながら、朝から11月3日の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』のチラシの発送をしたり、ポスターの掲示をお願いして走り回っている。昔もこんな風に走り回っていたはずだが、何となく要領が悪くなっている。お願いに行く順番が悪くて、同じ道を何度か通っているのだ。話し込んでいても、『ひとりオペラ』の意義を必ず押さえて話していたはずなのに、全く違う話になっても気が付かず、気が付いてもまあいいかと思ってしまう。それと声に元気がない。

 体調が悪いと言っても、気候のせいで鼻水が止まらないこと、血圧は平常値なのに脈拍が40前後しかないことくらいで、他にどうってことはない。スポーツ選手は脈拍が低いそうだから、気にすることではないのかも知れない。ただ、鎖骨の辺りが苦しいと感じる時は脈拍が低い。そんなことからやはり年老いたなあと思う。今日もテレビで俳優の竹脇無我さんの葬儀を放映していたけれど、参列者が画面に映し出されると、まあなんとみなさん老けたことかと思ってしまった。竹脇さんは私とは同じ歳だから、葬儀に集まった人々も似たようなものだろう。すると、私も人から見ればあんな風な年寄りなのかとガッカリした。

 それならば、今流行りの「老いの準備」をしておくべきかとも思ってみる。それで押入れの中を覗いてみるが、これを整理するのは大変な作業だと思い、戸を閉めてしまった。何しろ私の父親の遺品というか、アルバムや日記や雑記帳まである。いつか整理しようと思いながら先延ばしにして来たから、よほど切羽詰らなければやろうという気持ちが湧いてこない。それよりも、私の机の中にしまい込んである物を何とかしなくてはならない。手紙や日記や写真など、残しておいたら大変なことになるだろう。夫への不信、父親への軽蔑、腸が煮え涙も出ないかも知れない。恥知らずと罵るだろう。

 自分が亡くなる前にキチンとしておかなくてはと思った。思ったけれど、カミさんはともかく子どもたちは「やっぱり」とくらいに受け止めてくれるかも知れないし、死んでしまった者を今更責めたところでどうなるものでもあるまい。きれいさっぱり忘れてしまった方が賢明なのかも知れない。そうなると、このままでいいような気がして来た。たとえそれが怠け心からの発想であったとしてもいいじゃーないのと思った。そうなるとへそ曲がり心が出てくる。日本人は余りにも真面目に「老いの準備」などと考えすぎだ。死んでしまえば、本人が思っているほど人は覚えていないものだ。死んでしまったことすら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。

 それでいいのだ。フィリッピンで戦死した日本人の遺骨に現地の人の骨が混じっているという。それほどまでに骨を集めてどうするつもりなのだろう。みんながみんな、骨を後生大事に、しかも永遠に保持していたなら、骨の置き場に困るのではないのか。人は生まれ死んで土に帰ると誰かが言っていたような気がするけれど、骨はまた地球に返してあげればいい。人は地球から生まれたのだから、地球に帰るのは道理というものではないだろうか。
コメント
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