11月3日に上演する『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』のプログラムを作っていて、安珍清姫物語はどういう設定だろうかと話題になった。安珍は東北から熊野詣でにやってきたイケメンの修行僧で、清姫はこの辺りの庄屋の娘というのが一般的な設定である。清姫の家は熊野詣での旅人を世話するくらいだから豪農だったのかも知れないし、かなりの豪族だったという説もある。そんな豪農か豪族かが問題ではなく、清姫は幾つくらいの女性だろうかと友だちは疑問を投げかける。彼女は清姫がうら若き女性であったなら、あれほどまでに激しく恋することはないはずだと言う。
彼女自身は、小学校の同級生と大学受験の時にばったり駅で出会い、激しく恋に落ちた。二人の結婚当時の写真を見たことがあるが、これほどの美男美女は見たことがないと思うカップルだった。恋の深みを知っているからこそ、うら若き乙女は周りが見えなくなってしまうほどの恋はしない、いや出来ないのではと思っているようだ。「恋」というと、どうしても若い男女のことのように思ってしまう。小説や映画の「恋」の多くはそうだろう。純愛物語は若い人たちにはふさわしいけれど、中年や老年の男女の純愛を大人たちは本気で受け止めない。
安珍清姫の伝説もほとんどが若いふたりの恋物語となっている。けれども昔話の中に、安珍は若い修行僧だけれど清姫は後家という設定のものもあるそうだ。嫁にいったけれど夫を亡くして実家に帰って来ていたのか、たまたま実家に帰って来ていた時に安珍に出会ったのか、詳しくはわからないけれど、とにかく清姫は安珍の世話をしていて好きになった。「『ふたりは一晩を共に過ごした』という表現でわかるかしら」と友だちが言う。普通の大人ならそれでわかるだろうし、子どもたちが聞いても嫌な感じはしないと思う。安珍と清姫は一晩抱き合って過ごした。それは男と女の恋の最高の形態と言えるだろう。
安珍と清姫はひとつになった。だから清姫は熊野詣でが終わったら、「必ず寄ってくれ」と安珍に言い、おそらく安珍も「わかった」と言っただろう。それなのに、なぜ安珍は清姫に隠れるようにして帰ろうとしたのだろう。本当は国許に好きな女がいて、清姫との一夜は単に魔が差したのだとも考えられる。安珍には若い欲望を満たすだけの一夜の恋だったのか。清姫は一夜のことが忘れられない大切な出会いだったのか。安珍が逃げれば逃げるほど、清姫はなりふりかまわずに追いかける。清姫にとって安珍は一夜を共にしただけの男ではなくなっていく。安珍はなぜ清姫から逃れようとしたのだろう。
自分が安珍ならば、自分が清姫ならば、と考えてみるけれど、いくら考えてもハッピーエンドの結論には辿りつかない。「恋」にハッピーエンドは似合わないのかも知れない。逆説的に考えれば、ハッピーエンドに終わるような「恋」は本物ではないのかも知れない。心がズタズタに切り裂かれるような「恋」こそが本物であるなら、人は本物でなくても幸せな「恋」でよかったのかも知れない。
彼女自身は、小学校の同級生と大学受験の時にばったり駅で出会い、激しく恋に落ちた。二人の結婚当時の写真を見たことがあるが、これほどの美男美女は見たことがないと思うカップルだった。恋の深みを知っているからこそ、うら若き乙女は周りが見えなくなってしまうほどの恋はしない、いや出来ないのではと思っているようだ。「恋」というと、どうしても若い男女のことのように思ってしまう。小説や映画の「恋」の多くはそうだろう。純愛物語は若い人たちにはふさわしいけれど、中年や老年の男女の純愛を大人たちは本気で受け止めない。
安珍清姫の伝説もほとんどが若いふたりの恋物語となっている。けれども昔話の中に、安珍は若い修行僧だけれど清姫は後家という設定のものもあるそうだ。嫁にいったけれど夫を亡くして実家に帰って来ていたのか、たまたま実家に帰って来ていた時に安珍に出会ったのか、詳しくはわからないけれど、とにかく清姫は安珍の世話をしていて好きになった。「『ふたりは一晩を共に過ごした』という表現でわかるかしら」と友だちが言う。普通の大人ならそれでわかるだろうし、子どもたちが聞いても嫌な感じはしないと思う。安珍と清姫は一晩抱き合って過ごした。それは男と女の恋の最高の形態と言えるだろう。
安珍と清姫はひとつになった。だから清姫は熊野詣でが終わったら、「必ず寄ってくれ」と安珍に言い、おそらく安珍も「わかった」と言っただろう。それなのに、なぜ安珍は清姫に隠れるようにして帰ろうとしたのだろう。本当は国許に好きな女がいて、清姫との一夜は単に魔が差したのだとも考えられる。安珍には若い欲望を満たすだけの一夜の恋だったのか。清姫は一夜のことが忘れられない大切な出会いだったのか。安珍が逃げれば逃げるほど、清姫はなりふりかまわずに追いかける。清姫にとって安珍は一夜を共にしただけの男ではなくなっていく。安珍はなぜ清姫から逃れようとしたのだろう。
自分が安珍ならば、自分が清姫ならば、と考えてみるけれど、いくら考えてもハッピーエンドの結論には辿りつかない。「恋」にハッピーエンドは似合わないのかも知れない。逆説的に考えれば、ハッピーエンドに終わるような「恋」は本物ではないのかも知れない。心がズタズタに切り裂かれるような「恋」こそが本物であるなら、人は本物でなくても幸せな「恋」でよかったのかも知れない。