
川の堤一面にヒガンバナが咲いている光景は見事なものだろう。長女のダンナがインターネットで調べてくれた大垣市の大谷川の堤防も一面のヒガンバナで見事だった。私は養老山脈の東、津屋川沿いのヒガンバナが好きだ。川幅が広く、川面近くには大きな樹木が生えていて、情緒がある。時にはカメラマンの要望に応えて、川舟で投網の演技までしてくれる。辺りに駐車場が無いことが辛い。この海津から大垣にかけては、あちらこちらでヒガンバナの群生が見られる。長女の話ではJRで京都に向かうと関が原辺りからヒガンバナがいっぱい見えるそうだ。
子どもの頃はヒガンバナを地獄花と言われていたような気がする。お墓に咲いていることが多かったからかも知れない。ヒガンバナを切花にして家で飾る人はいなかったのではないだろうか。今では家の庭にヒガンバナを植えている人もいる。時代が変わり、ヒガンバナの評価も変わってきた。関が原と言えば、徳川家康が率いる東軍と石田三成に加勢する西軍との天下分け目の戦いの場である。NHK大河ドラマ『江 姫たちの戦国』も先回が関が原の戦いであった。ドラマでは家康が天下を取るというよりも、豊臣の家臣同士の争いと説明していたが、なるほど歴史はそうであったかも知れないと思った。
ドラマだからだろうけれど、石田三成という人物は部下として働くことは出来ても大将にはなれない人のようだ。人の使い方がうまい人は、部下から信頼され、さらに大きな力を結集させることが出来る。家康の諸大名への心配りに対して、三成はただ忠誠を求めるばかりで、これでは離反が出るのも無理はない。もちろん、そのようにドラマは見る人々を動かしているのだけれど。ただ、そのために亡くなった人々は報われない。何万という人々が戦った戦場だが、実際の死者は多くなかったという説もあるけれど、それでも命を落としたり、怪我で働けなくなったりした者は多くいただろう。
ヒガンバナはそんな人々が姿を変えて出てきたのだと昔、祖母が話してくれた。怖い話だけれど、思えばそんな感じがしないでもない。女郎花と思ってみれば、これほど妖艶な花はないだろう。乱れた着物が異様に美しく見える。盛りを過ぎたヒガンバナは余りにも哀れであるが、いつしか見えなくなってしまう。