友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

元気?また会いたいねえ

2013年03月13日 18時08分13秒 | Weblog

 雨が降ってきた。午前中は暖かく、私はルーフバルコニーに出て、植木鉢を見て回った。チューリップが大きくなってきた。今日は昼から雨降りになると予報されていたから、水やりはしなかった。だから、雨が降って欲しいと思っていた。午後4時に外を見た時は、雨降りの音もなかったが、今はシトシトと音が聞こえる。春の雨は一雨毎に暖かくなるというけれど、今年は雨が降るたびに寒さが戻るような気がする。

 長い間、そう言ってもわずか1週間ほどのことなのだが、連絡が無いのでどうしたのだろうと心配していた。寒かったり暑いほどだったりの気候が続いたので、体調不良を起こしていたらしい。そんなことくらいなら安心だ。おかしなことに、歳を取ると自分のことよりも人のことが気になる。気にしてみたところで、どうにもならないことは分かっているのに妙なものだ。先輩の言い草ではないが、「なるようにしかならん」けれど、それでも自分に出来ることはないかと思ったりもする。

 福島から避難してきた人の話を聞き、カンパはしたけれど、そんなことでは何も解決はしない。私が首相になって、原発を廃止しても、廃炉にするまでは何十年とかかるし、廃炉が出来たからこれで全て解決したのかと言えば、やはりそうではないだろう。北朝鮮が「休戦協定を白紙に戻す」と宣言しているが、金正恩第1書記がこれを撤回すれば問題は解決するかと言えば、やはりそうではない。北朝鮮と韓国の問題は、アメリカの世界戦略上に生まれた問題だから。

 『レ・ミゼラブル』で、市長になったジャン・バルジャンがどんなに善政を行なったとしても、ひとりの貧しい工場労働者さえ救うことは出来なかったし、仮に彼女を救うことが出来ても、それで解決したのかと言えば、やはりそうではないだろう。パリで王政に反対していた青年たちが、銃で政権を奪い取ったとしても、それだけでは解決にならない。そう、人間社会は自分たちが作り上げてきた社会なのに、自分たちで解決できないもどかしさを抱えている。

 誰が悪いというわけではないのだろう。人間の中にはズルイ奴もいるけれど、「話せばわかる」はずだ。世界を変えるとか、社会を変えるとか、そんなことは出来なくても、「元気?また会いたいねえ」とメールを送ることくらいは出来る。一人ひとりがささやかな幸せを実現出来るなら、それでよいのかも知れない。「大いに飲んで、食べて、おしゃべりをして、生きていることの素晴しさ、仲間がいることの喜びを、みんなで味合いましょう」と『桜の宴』の呼びかけに書いた。

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