中学からの友だちが、この1週間ばかり体調がよくないと言う。微熱が続いているからだろうが、「身体がだるい」とかなり内向きになっている。中学の時から、身体が大きくてオジサンみたいだったから、小さなことにはこだわらず、ハッハッハアーと生きているかに思っていたけれど、意外に気弱な性格のようだ。とはいえ、人間誰でも何も気にせずに生きていられるわけではないから、気にするなと言う方が無理なようだ。
彼が夢想して作り上げた「友だち以上恋人未満」の女性の話はピタリしなくなった。彼女が「私のことは書かないで」と言ったからだけど、彼自身が夢想社会にいられなくなったこともある。彼は健康診断で、肺に異常が見つかった。幸い悪性ではないということであったけれど、そして、そこが凄いなと感心するところだけれど、17年間続いてきた17歳年下の彼女との付き合いをパッタリと止めた。
病魔に蝕まれていく哀れな姿を見せたくない。それが理由だった。確かに65歳を過ぎる辺りから、若々しく健康で若い人にも負けないくらいの体力のある人でも、ジワリジワリと老化が加速する。毎日、顔を洗って鏡で見ているから、少しも変化していないつもりでいるが、1年前の写真を突きつけられると、ビックリするほど老けている。同年の者が集まって、ワイワイやりながら酒を飲む時に、「じゃー写真を1枚」などと言うと、誰もが「写真は要らない」と拒否をする。わざわざ老いの確認などしたくないのだ。
友だちは若い彼女に、老いていく自分を見られるだけでも辛いのに、病気のせいでもっと情けなくなっていく自分を見せたくないと思ったのはもっともなことだ。それなのに、「どうして自分を偽るのか。好きなら好きとハッキリさせた方が彼女だった嬉しいだろうに」などと、みんなでけしかけたりしたけれど、そう言った私たちよりも彼の方がはるかに冷静にふたりの関係をみていたし、愛に対して真摯だった。
NHKの朝の連続ドラマ『純と愛』は、今月末で放送が終了するはずだから、いよいよクライマックスに差し掛かってきたと思うけれど、エッ、これで終われるのという展開だ。もちろん最後はハッピーエンドなのだろうけれど、純さんの奮闘の割に恵みはない。それで、そうか人生とは努力であって結果ではないと言いたいのかと思った。確かに私の友だちも努力の人だ。人は誰も生きていくためには努力が必要なのだと当たり前のことを当たり前に考えている。