地元の大学の演劇を観て、その新鮮さに魅了された。しかし、昨年の秋の文化祭で観た作品は学生演劇の大胆さが消え、いわゆる演劇っぽいものになっていた。劇団員が代わっていく学生演劇なのだから、それは宿命のようなものだ。中には演劇に取り付かれて、プロの劇団を目指す人もいるだろう。そういう意味では今日の演劇は、かなりレベルが上がったと思った。
それでも、私たちの学生の頃とは全く時代が違うと痛感した。学生たちが使用している部室がなくなるというのが舞台の設定だが、私たちの頃なら「全学集会を開いて断固抗議すべき」と言うだろうし、1970年前後の大学なら「直ちにバリケート封鎖しろ」と過激な方針が提起されただろう。しかし、この大学では学生自治会の役員を引き受ける者さえいない。
部室が取り壊されることになる映画研究部、演劇部、バトン部は、自治会の部屋から壊される様子を見ようと集まる。このこと事態が私には理解できない設定だが、物語はここから始まった。バトン部の部長と後輩の女子学生は、先輩・後輩の関係だが実は同じ歳で、後輩の方が演技力がある。しかも、彼女はキャバクラで働いていて、その店の男の子と同棲している。先輩である部長は先を越されたショックと同時に、カモにされてしまうことへの心配と不幸に優越感を抱く自分がいることに気付く。
そんな風に、登場人物の誰もが決して完璧な人間ではないことが明るみになっていく。東京に出て、もっとビックになりたいと考えている者、来年の就活に備えていこうとする者、目指すものはあるのに、そこへどのようにして辿り着くか、その計画性には欠ける。でもなあーと自分の学生時代を振り返って思う。無我夢中で、そんな計画性などなかった。
演劇の後、中部二科展を観に行った。二科会には結構知り合いがいる。同期で高校の美術の教員になった知り合いは、既に二科会の幹部になっている。その彼が、会報に『茫茫、遥かなり』と題して一文を載せていた。中部二科展の第1回海外留学賞でローマ国立美術大学に学んだ人とは、芸術論を交わし、中部二科のあり方についても議論した仲であった。その人は恩師から「ヴェネチア・ビエンナーレでグランプリを獲るまで決して日本の土を踏むな」と言われたことを守り、26年間をイタリアで過ごした。
「絵はどこで発表されているのですか」と知り合いが尋ねると、その人は「絵はやめました」と答えた。「何の気負いもなく、挫折も感じさせず、静かに現実と自己を眺めつづけてきた人の清々しさが漂っていた」と結んであった。学生演劇のタイトルは『いつかきっと。いつか』だった。