友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

幻想を抱いた私が愚かだった

2013年03月20日 19時16分50秒 | Weblog

 データファイルが開けないまま、今日も終わろうとしている。この頃見る夢は、ウーン困ったと焦っているものが多い。どんなストーリーだったか思い出せないが、結論はどうしようかと焦っている。人生の終末を迎えながらまだ何を焦るようなことがあるのだろう。自分で出来なければ他人に頼めばいいし、失敗したならゴメンナサイと謝ればいい。肩肘張ってみたところでどうってことは無い。そんな風に思えるようになったのは、気力が無くなったのか、歳を取った者の知恵なのか。

 開き直りのようにも思えるけれど、そういうことってあると思う時がある。私が大学に入ったのは昭和38年で、まだ60年安保の残骸がそこかしこに残っていた。残骸という言い方は失礼なのかも知れないが、実際に60年安保闘争に参加した人たちの「思い出」のようなものが漂っていた。それを敏感に感じる人と感じない人がいたし、感じる人の中には受け止めることを拒否する人もいた。それまでのわずか18年か19年の歩みの中で、人の関心は築かれていたのだ。

 名古屋の高校生は安保闘争デモに参加していたが、私はテレビと新聞でしか知らなかった。私の高校の先輩たちも名古屋や東京まで出かけていたのかも知れないが、そんな話が交わされていたのかさえ知らなかった。知らなかったことを私は自分の負い目のように感じていた。人生についてあるいは愛について、大いに語り合う、高校生活を夢に見ていた私は予備校化した高校に幻滅を抱いた。成績も振るわなかった。「挫折」だった。大学に入って、古本屋で最初に買った本は『革命の挫折』というものだった。

 60年安保の体験者たちが振りまく挫折感はすうーと私に入ってきた。それで吉本隆明の『芸術的抵抗と挫折』は、題名を見ただけで衝動的に買ってしまった。しかも最初に書かれていたのは、「マチウ書試論」というものだった。私は中学の時からキリスト教に憧れながら信仰に至らなかったので、とても興味深く、挫折から解放されることを夢見た。マチウがマタイで、ジェジュがイエスのことであることまでは分かったけれど、よく分からない文章だった。これは私の頭が悪いためだと思っていた。その後も、吉本の本は何冊か書名に惹かれて買ったけれど、やっぱりよく分からないままだった。

 私より2歳年下の呉智英さん著の『吉本隆明という「共同幻想」』を読んで、なるほどと納得できた。難解な文章だったことで、周りが吉本を凄い思想家だと祭り上げてしまったと指摘する。吉本の原理への追及は歳を重ねた晩年になると色あせてきたし、反原発運動を「猿になるのか」と言った時は驚いた。生きていること事態を「幻想」というなら、それはそれでいい。幻想を抱いた私の方が愚かなのだから。

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