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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

原点を探す

2013年03月18日 18時43分53秒 | Weblog

 アルゼンチンの枢機卿が新ローマ法王に選出された。南米から法王が選ばれるのは始めてのことらしい。世界で12億人と言われているカトリック信者の分布を見ると、南北アメリカが5億2千万人、次にヨーロッパが2億8千万人、続いてアジアが1億7千万人、アフリカが1億3千万人とある。南北アメリカやアジアそれにアフリカは、いずれもヨーロッパの植民地であったことが信者の多い理由だ。スペインからイスラム教徒を追い出したが、依然として中東はイスラム勢力下にあったから、金銀や香辛料などを求めて大航海時代が始まった。

 ポルトガルに先を越されたスペインは西へと向かい、南北アメリカを圧倒的な武力で制覇した。南北アメリカがほとんどがスペイン語であるのに、ブラジルだけがポルトガル語である。この植民地支配の分割調停を務めたのはローマ・カトリック教会だった。今、世界で最もカトリック信者の多い国がブラジルというのも歴史の皮肉かも知れない。ところがそのブラジルのカトリック信者が年々減りつつあるそうだ。カトリックに代わってプロテスタントが伸びているのが原因だが、これはもっと皮肉的かも知れない。

 1970年代だったと思うけれど、世界で学生たちがバリケード闘争を展開していた頃だった。南米では貧困の住民たちを救う「解放の神学」というカトリックの司祭たちがいた。教会で祈るだけでなく、実際に貧困から救うために実践すべきだという運動だった。私の友だちも「世界で最も過激な宗教」と呼び、カトリック信者になった。宗教は絶えず、原点へ帰ろうとする。その動きがなければ飛躍もないのだ。イスラム原理主義がイスラム教徒に支持されるのも、イスラムの原点を見直そうとするからだろう。

 キリスト教のプロテスタントも原理主義であった。カトリック教会が独占していた聖書を信仰の原点にしたが、それは印刷技術が可能にした。それまでは司祭がラテン語で読む聖書をありがたく聞くだけであった。各地の言葉で聖書が印刷され、キリストの言葉の意味を考える。これは信仰の現実化と言っていいと思う。仏教もたくさんの宗派が生まれたけれど、その契機は常に原点復帰だった。聖書も仏典も論語も、キリストが釈迦が孔子が、「こう言われた」と弟子やその弟子から聞いた人々が、かなりの年月を経てからまとめたものだ。

 だからこそ、「本当はこう言われたのではないか」と問う時が何度もやって来る。新ローマ法王は「自ら食事の支度をし、バスに乗って出かけるつつましい生活を大切にし、病気の人たちの身体を洗い、口づけをする温かな人柄」(朝日新聞)とある。「解放の神学」はローマ・カトリックから異端とされたけれど、その改革精神は受け継がれているのだろうか。

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