友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

梅の香に誘われて

2015年03月05日 19時06分09秒 | Weblog

    梅の香の 暖かき春の 訪れに 君の手を取り ウグイスを追う

   梅の花 甘き香りの 漂うは 君の匂いに 似て麗し 

 好きになった女性の手に触れたり、うなじから漂ってくる甘い匂いに口付けしたくなる、そういうことをする若者がいなくなったと、テレビが報じていた。私は早熟だったのか、中学1年の時から好きな女の子がいた。れけども、好きな女性と手をつなぐことが出来たのは結婚してからで、そのことを子どもたちに告白した時、「バカみたい」と笑われてしまった。だから、キスしたもの結婚後である。

 女性に触って見たいという気持ちは強くあった。女性の裸を見たいという欲望もあった。友だちに誘われて、ストリップを見に行ったこともブルーフィルムを見に行ったこともある。恋しているのに、年上の女性に抱かれる夢を抱いて、自分の中にもうひとりの自分がいることに気付き、不純な自分を卑下した。キリスト教に憧れながら、自分の罪深さに悩み、キリスト者にはなれないと思った。

 今の若者たちは理性が強いのだろうか。一緒のフトンに寝ていても何もしないなど私には考えられない。肌が触れ合うことの悦楽を知らないのだろうか。若者たちは「めんどくさい」と口にしていた。「制約を受けたくない」とか「責任が発生する」とか「時間をとられるのがイヤ」とか、ビックリするような理由を挙げていた。恋することの喜びよりも、モラルを壊すとどうなるか、余りに社会が話題にし過ぎている。

 理想の恋愛があるわけではない。理想の結婚があるわけではない。好きになるのに理由などいらない。若者が恋愛や結婚に消極的なのは、大人の側に問題があると思う。希望がないのだ、欲望を抱くことは悪なのだ、だから何もしない方が安全だと考えるのか。愛することは罪でもあるが喜びでもあるに。

 昨日、ブログを書き出したら急に呼び出しを喰らった。「大和塾で落語の会を開けないか?」と言う。どういうことなのか、会場は確保できるのか、そんなことで、てんやわんやになってしまった。しかも夜は男女共同参画連絡会があり、ブログを仕上げる時間がなかった。だから今日は2日分。ごめんなさい。

コメント
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