友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ブルータス、お前もか」

2015年03月15日 18時02分54秒 | Weblog

 「ブルータス、お前もか」。シェイクスピアの戯曲で有名になったジュリアス・シーザーの言葉だ。シーザーというのも英語読みで、ラテン語読みではカエサルというらしいが、私にはシーザーの方がしっくりくる。ローマの独裁者となったシーザーを共和派の連中が暗殺する場面で、暗殺者の中にブルータスを見て、シーザーが発したセリフである。

 シェイクスピアの戯曲はシーザーを描くというよりも、ブルータスの苦悩に重点が置かれているから、「お前もか」は効果的だ。シーザーはブルータスを息子のように可愛がり信頼していた。「なのに、なぜだ」という思いが言葉に出ている。裏切られた時に使う言葉なのだが、試験などが出来なかった時に「オレ全然ダメだった」と友だちが言うと、「お前もか」などと使ったりしてしまう。予期せぬ展開という意味でよしという訳だ。

 シーザーは軍人で政治家だが、その言葉は私たちも知っているものがある。その最たるものが「ブルータス、お前もか」であるが、決戦を前にしてルビコン川を渡る時は「賽は投げられた」と兵士を鼓舞した。前に進むしかないと奮い立たせたのだろう。行動派らしく、「何かを生み出す行動でなければ、行動とは言えない」と自分に言い聞かせている。政治の難しさを語ったものか分からないが、「始めた時は、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」と言う。

 戦略家らしい言葉は「分断して征服せよ」がある。相手が一致団結していては手ごわいが、仲間割れを起こせば弱体化してしまう。今の政治も全く同じだ。義のためなら弱い方でも味方するかといえばそうではないので、分断はいくらでもあるといえる。私が好きな言葉は、「自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。それは、他人も同様だろう。だから、他人の生き方も認める。そうして、敵が私に再び刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。そのように生きることが私の願いだから」。

 今日は元老院が開かれていたポンペイウス劇場でジュリアス・シーザーが暗殺された日。しかし、ローマは再び共和制には戻らなかった。

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