友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

医者も神様ではない

2015年03月09日 18時47分13秒 | Weblog

 中学からの友だちが「肺炎球菌の予防接種を受ける」と言う。この予防接種は昨年から始まったもので、65歳、70歳、75歳‥の年齢で、5年毎に接種しなさいというものだ。肺炎は死亡の第3位とテレビや新聞で盛んに宣伝している。子どもが予防接種を受けるのは意味があるけれど、高齢者に接種させて死亡率が下がったとしても、それにどれほどの意味があるのだろう。

 国の補助を受けられるから自己負担は少なくてすむとも広報している。要するに国としては、該当する高齢者を接種させたいわけだ。するとますます高齢者が長生きすることになる。高齢者は健康であることに敏感であるし、費用が少ないことはありがたいから、進んで接種するだろう。本人はわずかなお金しか払っていないと思っているが、医者や薬剤メーカーには国が支払っている。

 定期健診と定期接種とか、まるで義務のようであるが、それは医療機関と医薬品業界を潤すためとさえ思えてくる。私が通っている医者は良心的で、私の話しも聞いてくれるし、検査を押し付けることもない。私は医療費負担がゼロの人間だから、「あなたのためですよ」と検査されてもお金は払わなくてもいい。そこで医療機関によっては「医療費負担はないのだから」と検査ばかり行なうところもあるそうだ。

 患者にとって医者は絶対的な存在だから、医者の言葉に異議を唱えることはまずない。群馬大学付属病院で医療ミスが相次いだ。他の医師から見てもその執刀医は技術が稚拙だと言われている。しかし大学病院で先生の診察を受けて、「手術しかないが、開腹手術よりも早く退院できるから腹腔鏡手術で」と説明されれば、「よろしくお願いします」としか患者は言えないだろう。地域の大病院で胃カメラ検査を受けた時、待合室で並んでいると、隣の男性に「アンタは運がいい。今日は院長先生でなくて」と言われたことがあった。

 医者も神様ではないから、得手不得手があるだろう。みんながみんな誠実な人柄であるはずもない。私は高齢者のための予防接種を進んで受ける気持ちにはなれない。来る時がくれば仕方ないと思うし、医師を信じて託す他ないと思っている。ハズレなら運が悪かったと思うしかない。「そんなことを言っているとバチが当たるわよ」とカミさんは言うが、それもまた運命であろう。

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