友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

若い人は夢を追わない

2016年02月01日 17時32分55秒 | Weblog

 満州事変が起きた昭和6年生まれの先輩が、入院していること、そして見舞いに行ってきたこと、さらに昨日の朝7時前に、「例会は今日だったか?」と電話があったことを報告した。「あんなに博識な人を見たことがない。頭のいい人でも病気には勝てないのね」と米寿の女性が称える一方で落胆して言う。「すぐに見舞いに行きたい」とも言うが、「まずは息子さんに様子を聞いてからにしましょう」と提案する。今日の大和塾の例会のことだ。

 「見舞いに来るな」と言っていた人が突如、「見舞いに来てほしい」と言ったのだから、きっと自分でも何かを感じているのだろう。しかし大勢で行けばそれだけで疲れてしまうし、そうかと言って、誰も来ないのも寂しいものだ。昨日の朝の電話からすると、出来るなら見舞いに顔を出してあげたい気がする。「国のため天皇に命を捧げるように」と教育され、終戦を迎えた翌月の朝礼では「これからは民主主義の時代」と言われ、大人はなんといい加減なのだと憤慨した世代。

 米寿を迎えた女性は「男の人と女の人は教育の中身が違っていた」と話す。そんな話から今進められている男女共同参画についても、男女の不平等を解消することが家庭における男女のあり方に偏ってしまっていること、さらに言えば、3月6日のフェスティバルで大和塾が取り上げる「性同一性障害」のように、どちらの性と決められない現実があることへと話が広がっていった。

 さらに、成人たちの言葉が話題になった。理想の人は?と聞かれて、「両親と答えているのはありがたいことかも知れないが、それでいいのかなと思った」と言う。「感謝という言葉もみんなが口にしていたけど、人生を終わろうとする人ならともかくこれからの人なのに」と手厳しい。若者たちが現実的になり夢を語らないことに、大人たち、特に戦後世代は不満なのだ。

 岩波書店発行の『私の戦後民主主義』はとても共感できる。誰の文章を読んでも共有する体験があり主張がある。米寿の女性の言い分ではないが、「自分の道を自分らしく生きればいい」、どうやらこれが私たち世代の結論なのかも知れない。

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