友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

巨星墜つ

2016年02月10日 18時41分37秒 | Weblog

 偉大な人が亡くなった。「巨星墜つ」は三国志の中で、諸葛孔明が亡くなった時をいう。天を仰いだ時に大きな星が落ちるのを見て、孔明が亡くなったことを知るという話だったと思う。大和塾の設立以来、浅学菲才な私に付き合い導いてくれた、先輩が亡くなった。市大病院では「これ以上の治療は出来ない」と言われ、近くの病院に転院したばかりだった。

 満州事変が勃発した昭和6年生まれなので、「戦争と共に成長し、戦争の悲惨さも敗戦の惨めさも、体験してきた」と何度も語った。60年安保は20代の最後の年だったから思い出すことも多かったはずだが、「凄い戦いだった」と言うくらいで、多くを語らなかった。安倍政権が誕生して、国の行く末をとても心配していた。「絶対に戦争してはいかん」と。

 前にも書いたが、米寿を迎えた女性の塾生は「こんなに知識の豊富な人に出会ったことがない」と絶賛していた。特に漢文や漢詩に造詣が深く、大和塾の季刊誌『風』の巻頭言にはなくてはならない人だった。「戦前に教育を受けたからだろう」と謙遜していたが、工学部の出身なのに文科系にめっぽう強く、奈良時代から明治・大正までの文学にも精通していた。

 「助平は長生きのコツ」と、時々思わず笑ってしまうような下ネタ話を聞かせてくれた。気取らず分け隔てもなく、塾生のみんなから慕われ尊敬されていた。カミさんを先に送り、息子さんとふたりの生活だったけれど、お互いを気遣う様子がよく分かった。先日、見舞いに行った時、「7月3日が季刊誌『風』の最後の号になるから、何か書いてくれないと困るよ」と言うと、その時は「そうだな、考えておく」と言ってくれた。

 そしてすぐ、原稿だといってメールが送られてきた。「テカントショペンハウハウエルの三哲学者の頭文字に由来する(未完)」。デカンショ節のことだろうが、何を伝えたかったのだろう。ケイタイの画面が見えなくなっていると息子さんは言っていたが、デカルト、カント、ショウペンハウエルと長く打つこともつらかったのかも知れない。知の巨人に安らかな眠りを!

 明日は仙台から次女一家が、また長女一家も我が家にやって来るので、ブログは休みます。

コメント
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