友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姪っ子の義父が亡くなった

2016年02月08日 17時16分23秒 | Weblog

 姉の娘である姪っ子の嫁ぎ先のお父さんが亡くなった。薬をもらうために出かけた病院で、立ち上がった拍子に転倒し頭を打った脳内出血が原因だと言う。「病院なのに、何とかならなかったの?」とビックリする。手術も出来ず安静にして時を待つだけであった。4日に倒れ、翌日には医者が「身内の方々に知らせた方がいいでしょう」と言ったというから、先は長くないとは感じたけれど実際にそうなってみると、人がこの世を去る時は呆気ないものだ。

 お父さんは6人兄弟の長男というだけに、参列する親族は多かった。お父さんの子どもは姪っ子のダンナとお姉さんのふたりだが、お姉さんの方には孫もいるから、お父さんにとっては可愛くて仕方ない曾孫ということになる。姪っ子は3人の男の子を生んでいるがまだ誰も結婚していないので、もっぱら曾孫の4人に注目が集まっていた。棺に横たわる大祖父の姿、火葬されて骨だけになったものを不思議そうに見ていた。

 姪っ子の子どもたちはもう随分大人だが、一緒に暮らしてきただけに思い出も多く、目に一杯涙を貯めていた。それでも長男は長男らしく振舞い、次男と三男は支える側に回って、祖母と両親の手伝いをてきぱきと行っていた。私が祖母を送った時は小学生であったし、両親と祖父の時は高校生だったが、今の彼らのように務め果たしていたとは思えない。ただ、死を呆然と見送っていて、何の感情もなかった気がする。父が亡くなった時は、背負うものがなくなった、これからはひとりで生きていくことになる、そんな気持ちだった。

 死は年齢順に訪れるわけではないが、誰にでも平等にやって来る。私は今年で72歳になる。まだもう少し生きなくてはならない。それでも10年も20年も長く生きていたいとは思わないから、その準備をしておきたい。姪っ子の義父のように、「あっという間に幕を引きたいね」と妹のダンナと言い合って笑った。

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