昨日、朝の大雨が上がると、まるで春のような生暖かさに包まれた。車のエンジンをかけると、暖房ではなく冷房になった。通り沿いにある梅の木は満開だ。白梅も紅梅も見事なほどに咲いている。なのに、今日は冷たい風が吹いている。我が家のルーフバルコニーの鉢植えのチューリップもほとんどが芽を出している。先日、雪が積もった時は芽が凍傷にならないかと心配したが、どうやら杞憂だった。
昨日は長女のところの6歳の娘を預かった。これまではひとりで来ることは一度もなかったから大きな成長である。4月から1年生になるので、お姉さんだねと教え込まれているのか、自ら自覚してきたのか、とにかく立ち振る舞いが違ってきた。さらに驚いたのは、母親の迎えが遅くなると分かると、「お風呂入っていく」と言う。これも初めてのことだ。バアバと次女の1歳9か月の娘と3人で、ワイワイやりながら入浴し、「楽しかった」と言う。
友だちの家もいつも4世代が存在していたと言う。我が家は3世代の10人家族だったが、私は兄貴の子どもたちと風呂に入ることはなかったと当時を思い出す。家屋の中に風呂場はあったが、脱衣所もなく風通しはよくて、ひとりが入るのが精いっぱいだった。そんな小さな風呂で10人も入っていたことは不潔な気がする。それでも家に風呂があるのはよい方で、友だちの多くは銭湯へ出かけていた。私は母親に許しをもらって、友だちと銭湯へ行ったこともある。
あれから60年余、時代はすっかり変わった。家にはエアコンがあり、テレビがあり、ふたりは入れる風呂があり、脱衣場にもエアコンが付いている。こんな贅沢な生活をするようになるとは思いもよらなかった。私は庭で鶏を飼う生活でも構わないが、子どもたちはそんな生活は出来ないだろう。今ある生活を質素にすることは出来ても、昔の生活に戻ることは出来ない。みんなが同じように暮らしているのなら、人はそれで「ヨシ」とするものなのだろう。