仙台から次女一家がやって来た日に長女一家にも来てもらって、歓迎会を開いた。長女のところの次女は6歳、この春には小学校へ入学する。次女のところの長女は1歳9カ月、いろんなことに関心が出てきていた。長女のところの6歳の娘は、次女のところの娘を相手に上手に遊べる。保育園生活が長く、今年は年長組だから下の子との接し方が分かっているのだろう。
ふたりのやり取りを見ていると、元々人間は集団生活をしてきたことがよく分かる。上の子が下の子の面倒をみることができるのも、集団の中でその手本を見て育ったからだ。サルも集団生活をしていないメスは、子どもを産んでも育てられないという。現在は核家族が多い。子どもを産んで育てるとなると、全ての負担が母親にかかる。イクメンの父親も増えたけれど、「手伝う」範囲を超えることはできないから、やはり母親が子育ての中心であることは変わらない。
泣き止まないとか、言うことを聞かないとか、熱が出たとか、けがをしたとか、絶えずイライラすることが起きるから母親はパニックになる。パニックになるばかりか可愛いはずの子どもが憎悪の対象にまでなってしまう。イライラをダンナにぶつけてしまい、夫婦ケンカが絶えないという家庭もある。最大の悲劇は憎悪の元である子どもを抹殺してしまいたくなることだろう。
そんな事件を耳にすると、大家族で暮らすことが人間社会には必要なことかも知れないと思う。家族が多ければストレスも生まれる。干渉しないようにしているつもりでも、目に付けばつい口に出ることもある。親子でも夫婦でも、相手のためにと思ったことが逆に相手を傷つけてしまうこともある。人間社会は難しい。難しいけれど、人の間にしか幸せは生まれないから、乗り越えるしかない。きっとそれは死ぬまで続く、人間の宿命なのだろう。