人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。人間はみな平等、男も女も平等。学校ではそう教えてもらった。なのに、級長は男で、副級長は女だった。応援団長は男が務め、女の子は旗や鉢巻を作る係りだった。デモでは最前列と両脇は危ないからと男で固め、女は真ん中だった。デモから戻り一休みすると男は女に「お茶!」を求めた。人間の尊厳を求めて共に戦いながら、一体どういうことなのだ。ここが上野千鶴子さんの原点のようだ。
私の両親は教員で共働きだったが、父は家事には一切かかわらなかった。それは祖父母と同居していたからだと思っていたが、姉に言わせると「家では何もしない人だった」らしい。私も結婚して共に暮らすようになっても、台所に一緒に立つことはなかった。子どもが生まれ、手がかかることが分かって、少し手伝うようになった。今も、求められれば台所に立って料理もするが、忙しくない限りはカミさん任せである。
男女共同参画では男はもっと家事や育児に時間を使うべきだと話題になる。学校では男女別名簿をやめて混合名簿になってきている。管理職に女性が占める割合を増やすようにと言われている。男性も育児休暇を取るようにと勧奨されている。地下鉄に乗ると女性専用車両があるが、あれは性差別にはならないのだろうか。世の中は男と女で成り立っていると思うのは間違いで、男でも女でもない人もいる。
性の区別も難しいし、性による役割分担も人によって見方が違う。現在の自分の置かれた状況から、「女は強く、男は弱い」と言う男性もいる。女性たちから不満の声は上がるのに、男性から「性差別だ」という声は聞こえない。男と女が互いを尊重し、互いを求め合い、そして誰もが気持ちよく生きられる社会はどうあるべきなのだろう。
明日、7月3日(日)の午後2時から北名古屋市文化勤労会館小ホールで、上野千鶴子さんを講師に迎えて大和塾市民講座『「女性活躍」を阻むもの』を開催する。先着順で入場無料。誰でも自由に参加できる。このため明日のブログは休みます。