健康診査に行ってきた。私は4年前にペースメーカーの装着手術を受けたので、75歳からの後期高齢者扱いである。これにガン検査を加えての診査だった。これまでは「健康診断」とばかり思っていたが、「健康診査」であることに初めて気が付いた。日本では世界では珍しい車の定期検査が行われ、定期的に検査を受けることに慣れている。きちんと動くためには当然だとすら思っている。
車とは違って、人間は自分の状態は把握できるから必ず毎年診査を受ける必要はないと私は思うけれど、自治体から診査の知らせが届くと、「健康維持のためには受けるべきよ。それに無料なのだから」と健康診査に信頼を置いているカミさんはさっさと申し込んでしまう。無料とはいえ、自治体は病院に診査費用を支払っている訳だから、医療費が膨らむことになるのに。
私たちは子どもの頃から健康診断を受けてきた。学校では毎年、身長・体重・視力などの検査が行われ、街の医者が学校に来て子どもたちの胸に聴診器を当てていた。児童の健康診断は戦前から行われていたが、富国強兵を目指した日本は健康な兵隊が必要だったからであり、戦後も経済成長にともない企業は従業員の健康診断を行うことで健康な労働力の確保に努めた。普通に暮らしている人を対象とした人間ドックも普及し、健康への関心はいっそう高まった。
昭和57年には高齢者の医療の確保に関する法律が生まれ、平成20年からは特定健康診査が実施され、該当者には自治体から「お知らせ」が届くようになった。健康診査を受けて精密検査を要すると診断されながら放置しておくと、自治体から受検するように催促されるとも聞く。そんなに高齢者を厚遇しなくてもいいと思うのは私だけかも知れないが、75歳を過ぎれた後期高齢者の余生は静かにさせてあげた方がいい。
働き盛りの人が健康であることは大事なことだが、人生の終末にある人は病気があってもいい、高額な治療を受ける必要はない。大事なことはその人が満足した「死に方」が選べるかである。人はそれぞれ、みな同じように長生きする必要はないと私は思う。