上野千鶴子さんの市民講座が終わり、その時に販売した書籍の売上げ金を振り込みしたり、その時配布した季刊誌『風』を市民活動推進課や教育委員会に持って行ったり、『風』に原稿を寄せてくれた講師の皆さんに郵送したりと、やることが続いた。残るは9月24日の姜尚中さんの市民講座だけとなり、やっとここまで来たかと思うと何だか気が抜けてしまった。
そんな時、知り合いから電話が入った。その女性は結婚というかたちをとらずに同棲していたが、男が亡くなり、男のひとり娘も「お世話してもらったのだから」と、女性がその家に住み続けることに同意した。ところが最近になって、娘さんから「孫が生まれたので、出て行って欲しい」と言われたのだが、ここには友だちも多くいるので出て行きたくない。どうしよう?という相談だった。
女性と娘さん家族と女性の家族も加わり、話し合うのが一番ではと話すと、その段取りだが法律的なことがさっぱり分からないので弁護士に教えてもらいたいと言う。もちろんその方がよいということで、私の知り合いの弁護士のところに相談に行くことになったが、そう結論が出るまで30分ほどかかった。半分は彼女の言い分を聞いて欲しいということだった。ひとり暮らしの女性は話す相手が欲しいのか、どうしても長話になってしまう。
上野千鶴子さんの講演の時に、長女のダンナのお母さんが朝日新聞の切り抜きを持ってきてくれたが、講演の後の質問の時間にちょうどその記事について手を上げる人がいた。記事は「ささいなことへの怒りの爆発、お互いにたいする思いやり不足、時にはいわれのない嫌悪感の表出など、認知症的夫婦の不幸な関係の現れと言わざるを得ません。以前は、このような関係では決してありませんでした」という相談で、回答者が上野千鶴子さんだった。
「夫婦といえども他人は異文化、異文化はストレス、あたりまえのことです。それに耐えるのは愛がある間だけ」と上野さんは言う。男と女は、愛し合い、求め合い、許し合い、耐え合う。きっとそういう存在なのだろう。