友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

歳を取ると悲しいことが多い

2016年07月12日 17時57分08秒 | Weblog

 歳を取ると悲しいことが多い。席を立ったのに、何をするつもりだったのか忘れてしまい、もう一度席に着いて思い出す。日常はそんなことの繰り返しだ。岩倉市にある『舩橋楽器資料館』は、世界中の民族楽器がある貴重な個人資料館だ。その館長の舩橋さんが脳出血で倒れられたというので気になっていたのに、なかなか時間が作れなくて行けずにいたが、幸いに今日は車もあったので行ってきた。

 資料館に着くとどこかで三味線の音がする。裏手に回ると舩橋さんが三味線を奏でていた。「お元気になられてよかったですね」とあいさつする。カミさんも来られて、「やっと退院してきたばかりです」と当時の状況を説明してくれた。舩橋さんが「三味線はまだうまく弾けません」と言いながら、テーブルの上の須磨一元琴を弾き出した。「うまいものじゃーないですか」と私が言うが、「まだ左手がうまく動かないのです」と舩橋さんは言う。

 それからひとしきり音楽のルーツの話になった。個人の収集館だが、このまま離散させたのではあまりにも惜しい。ますますそんな思いが募った。「子どもの頃は思い出せても、昨日のことが思い出せなくて」と舩橋さんが言う。「そんなことはみんな同じですよ。気にする必要はありませんね」と自分にも言い聞かせる。大和塾の季刊誌『風』の代金が払ってあるのか否か、分からなくなっているのだ。通帳には金額が書き込んであるから、あとは領収書を探すだけだが、領収書は会計さんが所持しているので見せてもらう必要がある。

 私の知り合いに長い間、生活を共にしてきたけれど籍は入れない内縁関係だった女性がいる。相手が亡くなり、親切心から行方知れずの子どもを探し出し、葬儀を行った。入院していた時の費用も葬儀の費用も彼女が負担した。相手が残した通帳も保険も家の権利書も、子どもに「お父さんが残したものだから大事にしてね」と全て渡した。それが今、「おばさん、この家から出て行ってくれる」と言われている。

 本当に歳を取ると悲しいことが多い。

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