そろそろバラを剪定しておこうと思っていたら、今朝は風もなくよく晴れていたので、ルーフバルコニーへ出てみた。昨夜の雪が残っていて、空気は氷のように冷たい。「風がない時しか作業は出来ないぞ」と言い聞かせて剪定を始めるが、あまりの寒さに3鉢だけにして急いで部屋に戻った。寒さの中にいるとどうして鼻水が出るのか分からないが、部屋に戻ったらクシャミと鼻水が止まらなくなった。
「求めよ、さらば与えられん」(マタイ伝7-7)とイエスは山上で人々に話された。これまで、戒律を守っていれば天国に行けると考えていた人々には衝撃的な説教だったに違いない。「あなたの敵を愛しなさい」とまで言われる。価値観の大逆転である。イエスの教えを危険と感じたのは、「戒律を守れば天国に行ける」と教えてきた律法学者などの支配層だ。戒律はごく当たり前のことばかりだが、「心で思っても罪になる」のではとても守り切れない。
俗世にとらわれていた私はイエスの言葉が心地よかった。しかし、信仰は「神に近づきなさい。そうすれば神はあなた方に近づいてくださいます」(ヤコブ4-8)とあるように、神に近づく努力である。バラの花を大きく咲かせようと思えば、そのための努力を惜しんではならない。小さなことかも知れないが、例えばマンションの組長は輪番でという原則は守ってもらいたいのに、「それは理想で現実は無理だ」と言う。理想ならそのための努力を惜しむべきではないのに。
けれどいっそのこと、求めたりししなければ絶望することもないし、空しい努力をすることもない。それで気持ちは軽くなることは確かだ。しかし、逃げたという罪の意識からは免れない。流れるままにしかならないのに、どうしてこうも人の世はややこやしいのだろう。