寒い日になった。予報通り午後から冷たい雨が降ってきた。ルーフバルコニーでの作業もできず、家でじっとしている。韓国で行われる冬季オリンピックに北朝鮮が参加することに、ああでもないこうでもないとテレビは解説している。そういえば先日の新年会の時も、先輩たちが「文大統領は共産主義者で、韓国を社会主義国にしようとしている」と主張していた。
戦争にならなければ、どこの国がどうなろうと構わない。中国が世界を支配すれば、戦争の危機は無くなるからいいが、北朝鮮も中国も「自由」が無いから嫌だ。それでもきっと、人間は徐々に自由を獲得していくだろう。力で抑えようとしても、必ず崩れていく。「自由」を味合った人間から「自由」を奪うことは不可能だ。
昨夜、テレビで水谷豊さんの『相棒』を観た。外国から攻められたらどうするのか―、自衛隊が密かに民兵組織に細菌兵器を作らせ、公になる前に封じてしまう。民兵組織の暴走のように描いているが、実は攻撃されたら反撃すべきだが国民の意識という訳である。「文大統領が韓国の社会主義化を企てている」とか、「習主席は中国の世界制覇を狙っている」とまことしやかな主張も、「だから日本は負けない国にならなくてはいけない」意識に通じている。
「攻めてきたら反撃するのが当然なのに、武力を持たないと言うのは平和ボケだからだ」と私もよく言われる。「細菌兵器が悪なら、核兵器はもっと悪ではないか。それなのに、細菌兵器は禁じているのに核兵器は認めている」と武装化を主張する。そして多くの国が核兵器を持とうとしているし、核兵器を持つことで攻撃されない国になろうとしている。
けれど、これでは戦争のない世界、武力を持たない世界にはならない。寒さから身を守る手段は工夫すればできるけれど、どんなに避難訓練をしても核爆弾から身を守ることはできない。戦争は自然災害ではない。人間が創り出したものは、人間は止められる。皆がそう思えば実現できる。I CANなはずだ。