友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

施設に戻った姉を見舞う

2019年11月05日 17時46分52秒 | Weblog

 肺炎で入院していた姉が施設に戻って来て5日目になる。もうそろそろ落ち着いただろうからと、妹夫婦と一緒に見舞いに行って来た。顔色は良かったけど、いっそう小さくなった気がした。部屋に入るとビックリした顔をして、睨みつけるような目で見る。「あんた、誰?」。姪っ子が言ったとおりだ。誰も覚えていない。

 カミさんが私を指さして、「弟」と言ってもキョトンとしている。会話は全く成立しない。姪っ子が一生懸命で思い出させようとするが、むしろ嫌がるそぶりをするし、「お父さんはどこ?」と繰り返すばかりで、姪っ子の名前が出てこない。これには姪っ子の方が落ち込んでしまい、元気を無くした様子だった。

 施設に入居出来て5年、姪っ子のつてがなければここに入ることも出来なかった。嫁入り先の義母も81歳と高齢で、家事も稼業の金魚の世話も、みんな姪っ子にかかっている。そんな忙しい中、時間を割いて母親を見舞っているのに、「あんた、誰?」はさすがに辛いだろう。昨年末から、姪っ子の表情は暗いし、目が空ろだ。元気が取り柄だったのに覇気がない。

 見るからに体重が激減している。ふくよかだった体つきだったのに、お尻も胸も小さくなり頬もこけてきた。カミさんも妹も姪っ子を心配している。妹は姪っ子の方が「先に逝く」とまで言う。義弟は「実家の鹿児島なら、80歳まで生きれば長寿の方。90歳まで生きた人なら、みんなで酒飲んでお祝いして送るよ」と言う。

 姉がどうして死にきれないのか、私には神様の思いが分からないが、「姉さん、もう充分生きたよ。お父さん、お母さん、そして姉さんの弟がいるところに旅立ってもいいよ」と呟く。「姉さんを見送った後でないと、私が逝きにくいから」と呟くところで、そんな自分勝手なことをと思い、呑み込んだ。

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