友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

市のPR映像を制作する学生たち

2019年11月24日 19時04分09秒 | Weblog

 市の市民講座『大人の国語・算数・理科・社会』の社会の第2弾は、「市の魅力を伝えるメディア作り」。名古屋芸術大学のデザイン科のふたりの先生の指導で、学生たちが取り組んだ市をPRする映像作りを紹介するものだった。同じ仕事をして来た私としては正直物足りなかった。

 大都市近郊の街なら、「古いものと新しいものが共存する」のは当然で、だから何?と聞きたくなる。稲穂の緑が美しい光景が続く。駄菓子屋があり、壊れそうなスーパーで手作りの梅干しが売られている。住民は優しく暖かい。高い建物は多くない。市民は夏祭りを楽しんでいる。

 ええ、それで?ともう一度聞きたくなる。リサーチを繰り返し、何度も構想を練り直したと説明していた。稲穂の美しい映像から何が見えたのだろう。農業で生活している人が何人いるのか、知っているのだろうか。市民の職業構成を調べたのだろうか。

 そもそも、PR映像で誰に何を伝えたいのか、私にはさっぱり分からなかった。PR映像の制作の過程は多少なりと理解できるが、その苦労を知ったとしても、だから何?と聞きたくなる。先生が言う。「知らないことを知ることで、人は豊かになる」と。そうだと思いますが、人は毎日、新聞やテレビで新しい情報に接するが、それで豊かになっているのだろうか。

 伝える仕事は、「誰に、何を、どのように」が大切なことだ。何でもいいから、紙面に載せてしまう、映像にして放映してしまう、確かにそれでも何かは伝わるだろう。伝えたい側の意思も働いているはずだ。でも今、受け取る側にいる私は、そんなゴミのような情報など見たくもない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする