友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いやに暗い国であるが、選択したのは私たちである

2020年05月03日 17時27分29秒 | Weblog

 大きく膨らんできたバラの蕾を見て回る。新しい芽の成長を邪魔している葉や黒点病になっている葉を取り除いてやる。夢中でやっていたらバラのとげで手を切った。「勝手に余分なことをするな」ということかも知れないが、これらの古い葉は、自分では懸命に葉を広げているつもりでも、新しい葉を阻害していることを知らない。

 今日は「憲法記念日」。中日新聞のトップに、国際政治学者の三浦瑠麗さんへのインタビュー記事が載っていた。三浦さんは私の長女より10歳年下だが、最近、テレビでよく見る。三浦さんは「『早く緊急事態宣言を』と求めたのは国民の側だった。太平洋戦争の時と同じ構図」と指摘する。「不安を感じている人々は、確たる方向を示して果敢な決断をする政治家を求める」からと。

 「感染症の流行期や戦争時は、誰もが新しい情報を求めて流言飛語に飛び付きやすくなる。政府にとっては、監視や独裁の強化しやすい局面と言える」と警告し、「自分たちの手で、権力の暴走に歯止めをかける制限を取り外そうとしているようにも映る」と言う。私も同感だ。異常なまでの他人批判はその土壌だろう。

 昨日の朝日新聞に掲載された、日本大学の蟻川恒正教授の『憲法を考える』はとても面白かった。タイトルは「脱法厭わね権力中枢 従う『配下』も共犯 法秩序ほとんど壊滅」とあり、『はだかの王様』に似た話で始まる。けれど、さる国の政治を取り仕切る最高責任者は、「法でできないことになっていることも、法を変更することもなく、できるようにします」とそそのかす詐欺師とグルなのだ。

 最高責任者の座に7年半も居座り、法の番人である検察や歴代の政府の法解釈を踏襲して来た内閣法制局を、人事で忠実な「配下」にしてしまった。法解釈を閣議で決める荒業すら行った。さて、「さる国」がどこか、分からない人はいないだろう。さる国の野党は揚げ足取りばかりで、問題の本質を追及できない。いやに暗い国であるが、選択したのは私たちである。

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