友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

在来種は尊く、外来種は悪者扱いするのだろう

2020年05月28日 18時18分14秒 | Weblog

 朝は気持ちよく晴れていた。いつものようにルーフバルコニーに出て、掃除をした後で水やりをする。鉢の置き場所を変えて、強くなった西日を遮る幕を張る。ひとりでやっていると左右の高さがうまく合わない。午後からは風が出てきたから、明日またやり直すことにする。

 知多半島は堰を作れるような川が無いのでため池が多い。ため池にはいつの間にかフナとかメダカとかが放されるようで、農業用に利用する前に、池の水が抜かれて掃除が行われる。子どもの頃、その様子を見に行ったことがある。

 最近、在来種に混じっていた外来種を駆除したという記事を見た。外来種は勢いが強く、在来種を駆逐するからだと書いてあった。でも、どうして外来種は駆除されなければならないのだろう。在来種は尊く、外来種は悪者扱いにされるのだろう。

 生き物はいつも弱いものを強いものが駆逐してきた。人間もまた同じだった。どこで生まれてどんな風に展開したのかよく知らないが、少なくとも人類が集団を形成した後は、民族大移動を繰り返してきたはずだ。

 食糧を求めて、あるいは食糧が豊かに得られる土地を求めて、必死に行動したはずだ。そこに先住民族がいれば戦い、自分たちの富を豊かにしてきた。日本人も南方系や北方系の縄文人がいたところへ、朝鮮半島からやって来た弥生人が勢力を伸ばして国家を作ったという。

 アメリカのように、ヨーロッパでは生きていけなかった清教徒が国家を樹立したのに、先住民族のインディアンを追い出し、アフリカからたくさんの黒人を連れて来て奴隷として働かせた。「神の前に人は皆平等」の清教徒はどこへ行ったのか。いつもいつも、人間ほど身勝手なものはいない。

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